――「控える」というのは、器の柄や色、形などを抑えるということですか?
梶川館長:一見すると色調が渋すぎるように思える器でも、料理を盛ると引き立ってみえ、見事に調和するといったことですね。豆腐を盛るなら、器は引き立てる要素がたくさんあったほうがいいでしょうし、逆に、料理自体が華やかなら、器は引き立て役として何もしてないほうがいい。そういう使い分けを、魯山人はあらゆる料理に対処できるように考えていたんじゃないかと思います。
――魯山人は器をつくるとき、この料理にはこの器をと決めてつくっていたのでしょうか?
梶川館長:この料理以外には使わない「一器一用」もあっただろうし、いろんな使い方ができる「一器多用」もありました。たとえば、つばきや紅葉が描かれた大鉢は、そこに料理を盛ることもできるし、水を張って植物を鑑賞することも、菓子を盛ることもできます。「一器一用」の器の例として挙げるなら、「織部木ノ葉皿」でしょうね。これは、鮒寿司を盛るためにつくったのではないかと私は思っています。
――「織部木ノ葉皿」は、梶川さんが初めて手に入れた魯山人の器だそうですね?
梶川館長:この皿を出発点に私の魯山人遍歴が始まった、記念すべき1枚です。私が初めて魯山人の器に出会ったのは、まだ20代の初めの修業中。ある方に築地の料亭に連れて行かれたのですが、そのとき出された料理の器が、すべて魯山人作だったのです。私は、よい器で食事をすることの喜びを思い知らされ、ほどなくしてこの「織部木ノ葉皿」を手に入れました。実を言うと、最初はコレクションしようという気持ちはなく、魯山人の人間性に興味がわいたのです。
というのも、当時、魯山人について書かれたものを読むと、傲岸不遜だとか野蛮だとか悪口ばかりでした。それでも私は、こんな器をつくる人が本当に傲岸不遜だろうか、これだけ痛烈に批判される人というのは「何か」を成している人ではないのかと思ったんです。その「何か」をものすごく知りたいと思った。けれど、すでに魯山人は亡くなっており、直接会って話を聞くことはできない。だから、彼の作品から人物を推し量ろうとした。どういう美意識、どんな思想、哲学を持っていたのか。作品を1つでも多く目にし、接して、使いたいと思った。それが彼のコレクションへとつながったのです。
「織部木ノ葉皿」1953年
何必館・京都現代美術館蔵
――梶川さんは、買い求められた魯山人の器をご自宅で実際に使われたそうですね?
梶川館長:45年間、使い続けてきましたよ。そして、見えてきたことがたくさんあります。魯山人の器が“使うことで輝きを放つ”こともそうですし、彼の“優しく、謙虚な人間性”もそうです。主役である料理の分だけ控えておくというのは、とても謙虚なことです。作家は自分を主張したいですから、なかなかできない。控えるには勇気、覚悟がいります。それが魯山人の器の最大の魅力ではないでしょうか。また、彼は、箸置きや小皿などの小物や、茶碗をすすいだ湯水を捨てる茶道具「建水」や蓋置きなども手を抜かず、一生懸命つくりました。小さいもの、弱いもの、脇のものを大切にしたんですね。