栂嶺には、人の存在が無視されることに対する、強い嫌悪感がある。人は、表に見えている断面だけではなく、それまでに背負ってきた歴史やつながってきた人々などの背景を含めて、その存在がある。また栂嶺は「喜んでいるとか悲しんでいるとかも、その人の存在感です」と言う。だから人の存在を無視するとは、それまでの生き方を見ようとせずに上っ面でとらえたり、現実のその人の気持ちを見ないで観念や先入観でとらえたりすることで、栂嶺はそれが嫌なのだろう。
栂嶺は小さい頃、「あなたは育ててもらっているだけで幸せなんだから」と、観念でしか見ようとしない大人たちに対して、泣いたり怒ったりしている目の前の自分を見てほしいという気持ちを強く持っていたという。それが栂嶺のアイデンティティーのもとにあるのだろうか。自分のアイデンティティーに嘘をつけず、そうと思えば直線的に進んでいくのが、栂嶺という人なのかもしれない。
07年の暮に栂嶺が本を出してから、固定観念でとらえられていた知床開拓の歴史は新しい光を浴びた。翌年の5月、ウトロのホテルで岩尾別小中学校の同窓会が40年ぶりに開かれた。「開拓者の子と知られてはいけない」と言われていた人たちが、「私たちは開拓者の子どもだ」と立ち上がったのだ。
「あれはよかった。みなさんが『開拓者の二世でよかった』と言い出しましたから。人が生きていたことがないがしろにされるというのは、本人が自分の人生を胸張って語れないということでもあるんですね」
観念やできあがったイメージでものごとを見ようとするのは、そのほうが自分を納得させやすいからかもしれない。想像力が退化していて何かに触れても「そんなはずはない」と思い込むからかもしれない。しかし、観念に浸ることで見えなくなる現実があり、現実が見られないことで封じ込められる気持ちがある。それを忘れない感性を持っていたい。(文中敬称略)
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