2023年2月6日(月)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2009年12月16日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 教授

慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社に入社。計10年の北京特派員を経て2020年から現職。ボーン・上田記念国際記者賞受賞。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。著書に『天安門ファイル』(中央公論新社)、『マオとミカド』(白水社)など多数。

 しかし宮内庁の態度は硬く、同庁のほか外務省も「『1カ月ルール破り』では仕方ない」というムードが支配した。ここで初めて中国側は焦りを強くし、崔天凱大使を先頭に「民主党工作」を始めるのだった。官僚組織への働き掛けでは難局を到底突破できない中、鳩山政権が掲げる「政治主導」を逆手に取る手法と言えた。

 2012年の第18回共産党大会で胡氏に代わる党総書記への就任が固まりつつある習副主席の今回の訪日は、「目立たず、印象付ける」を徹底する、神経を尖らせる旅だった。政敵から揚げ足を取られないよう目立ってはいけず、しかし「後継者」として印象付ける必要もあるのだ。

 習氏は10月の欧州歴訪では、メルケル独首相に対し、発行されたばかりの江沢民前国家主席の著作2冊(英語版)を贈呈し、党内でいまだ影響力の残る江氏への配慮を示した。さらに11月のオバマ米大統領の訪中では、北京空港まで出迎えたのが習氏だった。まさに米中の「新たな顔」を演出するかのような舞台設定である。

 そして今回の訪日。胡氏が前例をつくった「天皇会見」は外せないものだった。実際に、胡氏は国家主席として来日した08年、陛下から「主席閣下には今から10年前、国家副主席としてわが国をご訪問になり皇居でお会いしましたが、このたび国家主席として再びお迎えしたことをうれしく思います」との言葉をもらっている。

「天皇陛下によろしく」

 ここで中国にとってどれだけ天皇陛下というのは特別な存在であるか説明しておきたい。詳細は、拙著『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書)に記したので参照していただければ幸いである。

 中国では天皇は本来、「対中侵略戦争の元凶」であるはずだ。しかし実際には首相より格上の「元首」として位置付け、新中国建国以降、日本とまだ国交正常化していない1950年代から、日本の要人が訪中すると、毛沢東主席らは「天皇陛下によろしく」とメッセージを送り続けた。

 中国における日中関係の文献にはこういう記述がある。「日本の首相は絶えず代わるが、天皇は終始在位している。日本の普通の国民や子供は首相の名前を知らないことがあっても、天皇のことは心に刻んでいる」。

 中国歴代指導部は天皇を否定的にとらえるのではなく、天皇を味方に付ければ、日本人の心をつかめ、日本人の対中感情好転につなげられると確信した。そして実際に天皇訪中を対日工作の目標に掲げたのが鄧小平氏だった。建国後、中国指導者として初めて1978年に天皇陛下と会見した鄧氏は、「両国の間には非常に長い友好の歴史があり、その間には一時、不幸な出来事もありました」と語られる陛下のお言葉に「非常に感動しました」と声を上げた。

 『中国共産党「天皇工作」秘録』では冒頭、中国政府幹部が84年、日中国交正常化を成し遂げた親中派・田中角栄元首相を通じ、昭和天皇訪中に向けて動いた攻防を描いたが、当時の中曽根康弘首相の反対で挫折。天皇訪中が実現するのは、昭和天皇が崩御し、平成に時代が変わった92年10月だった。

 中国側の天皇訪中要請に自民党内では「天皇陛下が政治に巻き込まれる」と反対・慎重論が高まったが、中国は江沢民総書記を筆頭に日本側への働き掛けを強めた。最終的には時の最高実力者・金丸信自民党副総裁が、なかなか決断できなかった宮沢喜一首相に「天皇訪中問題について決めるべきはごちゃごちゃ言わず早く決めたまえ」と一喝、天皇訪中は決定する。


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