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2010年1月2日

 大学で建築学を修めた高橋は、建築家・白井晟一の研究所に入った。日本藝術院賞などを受賞する白井は丹下健三と並び称される存在で、高橋も師のもとで特殊建築を手がけていれば将来は安泰だっただろう。それが30歳の時、欠陥住宅をつかんだ友達の友達から相談を受けたことを契機に、一般住宅への関心を深めていく。

 「許せない手口で、私も若かったから、カッカきました。白井研究所にいながら、自分で勉強してビラを配って、『だまされないための住宅セミナー』を開きました。参加者から『結局、私たちはどうしたらいい(誰に頼めばいい家が建てられる)のですか』と聞かれて、3年ほどもやもやしていたんですが、『自分でやれば一番早い』と気づきました」

 高橋は「経済的に成り立たない」という忠告を退けて研究所を辞め、住まい塾を立ち上げた。「計算が先に立ったわけじゃない。こういう星の下に生まれてきたんでしょう。『許せない』と思ったのは動機にすぎなくて、それを受けて実際に行動したのは、自分の中に何かがあったからでしょう」。思いのない人に蛇口をつけても何も出てこないように、高橋の体から、住宅を商品化するハウスメーカー全盛の時代にあっても、設計者と施工者と建て主のエネルギーが重なれば、感動的な空間の住まいをつくることができるという思いが湧いているから、共鳴する人が集い、30年近く運動が膨らみ続けているのだろう。「知識をもとにして理念的に行動しても大した力にならない。体で感じた、抑えがたき何かでやれば、障害を越えられます」。

 「分析で頭がいっぱいなんて、人間の社会をやけにつまらないものにしているなぁ」と高橋は笑う。それはそうだろう。人間、どれだけ知識やデータをインプットして分析しても、最後の「えいっ」という決断は、自分の体から湧いてくる何ものかによらなければできないはずだから。(文中敬称略)

◆「WEDGE」2010年1月号

 

 
 

 

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