体から湧いてくる感覚とは、詰め込んだ知識ではなく、精神的に充実した内面を源泉とするものだ。精神の充実は、じっくりと思索ができることや、心地いいものに触れることで図れるから、そうやって体内の泉に水をためるがごとき空間が日常生活において必要だと、高橋は言うのだろう。内側から湧いてくる感覚や感情がその人の個性であり、潜在力であり、住まいはそれらを生み出す装置なのに、日本の家はあまりにおろそかにしすぎてきた。
家づくりが「早い、安い……」と、インスタント化したと指摘されて久しい。その結果、寿命20年の家がゴロゴロしていると言われるのが日本の住宅事情だ。それは時の経過に耐えられぬ素材を使っていることや、愛着が持てない家が多いことを表している。愛着がない住空間が、その人にとって豊かなはずはない。そんな空間で暮らしても、何も湧いてこない。湧いてこないから知識でカバーしようとする。ということは、インターネット云々よりも、湧きいずるものがないからこそ、人は分析にすがるのかもしれない。それで家を新築する時まで分析第一に陥るというのも皮肉めいている。
住まい塾の家は、太い柱と梁が存在感を示し、自然素材で仕上げられている。無垢の木で包まれ、設計者や職人の手が感じられる。「木に見せかけた合板で囲まれた空間では、人間の可能性が目詰まりを起こす」と言うように、インスタントとは対極の空間をつくっている。
一方で、金持ち向けではないかと感じたので、住まい塾で家を建てた人に尋ねてみた。「どっしりとした梁の家というイメージを大手ハウスメーカーに話したら『いくらかかると思っているんですか』と鼻で笑われたけど、住まい塾では坪単価70万円くらいから相談できた」と言う。庶民が家を建てるレートの、中の上といったところか。塾に集う設計者や施工者が、建築経験を蓄積しつつ課題を共有して解決してきたことや、流通改革を進めてきたことが、コストダウンにつながっている。
体で感じた、抑えがたき何かでやれば、
障害を越えられます
「いい家はほしいけど、何がいいのかわからないという人は多いですね。豊かな空間を言葉で知っても判断できませんから、塾では、木でも金物でも、現物に触れる機会をつくっています。いい素材、いい仕事、いい空間に接した感触で、人によってはガラッと変わります」
部分の分析に執着していた建て主が、ものを見る目を養い、豊かな空間を感じとれるようになるには、最良の道のようだ。それでも変われない人はどうするのか。
「率直に話し込むことだと思っています。例えば、『どうでしょうか』と尋ねられたら『よくないですね』と。世の中、商売っぽくなっていますから、何でも『ハイハイ』聞いて、はっきり言わない傾向がありますが、率直じゃないとモノづくりは成立しないでしょう。場合によっては、住まい塾以外の選択肢が向いていることも伝えます」
はぐらかさない議論を経て納得に至れば、高橋の描く空間で家を建てよう、となる。その家での生活が、いつかその人を変えるのかもしれない。高橋には大人(たいじん)の風が漂い、語り口も淡々としているが、かなりズバッとモノを言う。高橋の言葉が人に対して説得力を持つのは、軸がぶれないからだが、それは自分の中から湧いてくる感覚、思いに正直に生きてきたことの裏返しだと思う。