海を底へ底へと潜っていこうと思った時に、天童にはダイビングの経験はなかった。そこで、実際にダイビングスクールに通って、潮の流れや流される感覚、耳にかかる水圧の痛さなどを体感したという。そういえば、『悼む人』を執筆するにあたっても、実際に人が亡くなった場所を訪ね、誰か知らない人を悼むという行為が可能なのかをつかむために、天童は主人公の静人(しずと)と同じ行動をとって試したらしい。
『奢(おご)った言い方かもしれないけど、小説家は経験しなくても書ける。人を殺さなくても殺人者の気持ちを書けるわけで、実際に潜らなくても潜ったように書くことはたぶんできる。でも、『悼む人』を書く時に、実際に歩いてみて、今自分が立っている場所もかつてここで誰かが亡くなったかもしれないと思うと、踏んでいることへのおこがましさが湧いてきて、ゆっくりしか歩けなくなってしまった。その感覚をフィードバックできれば小説は豊かになるという実感があるんです」
膨大な資料を読破することに加えて、身を挺したノンフィクション的なアプローチは、小説家としての天童の感性の中に漉き込まれ、そこから想像力をより高くより深いものに結実させるための土壌となっていくのだろう。
痛みを引き受ける
天童の作品は、傷つけられたり大切なものを失った人々の視点を通して、家族とは社会とは世界とは何だろうと問いかける。天童が明確にこの視点を自らの軸に据えたのは、家族を狙う連続殺人事件と登場人物たちがそれぞれ抱える家族との葛藤をからめて描き、1996年に山本周五郎賞を受賞した『家族狩り』からなのかと思っていた。
「いえ、最初に『家族狩り』を書いた時は、面白いものを書いて読者に読んでもらえるエンターテインメント系の表現者になれればと思っていました。家族間で殺し合うような出来事が起きているのに、家族の温かさばかりが強調される。何かあると責任を家族に負わせる。そんな社会のあり方にすごく腹が立っていて、あの作品は怒りで書いているんです。エキセントリックな表現も多かった。書きたいものより書くべきものを書こうと、自分の表現者としての視点、姿勢が固まったのは『永遠の仔』を書いてからです」
2400枚の大作『永遠の仔』は、子どもの頃、さまざまな虐待を受けて育った3人が大人になって再会し、それぞれの背景を抱えながら悩み苦しみ、それでも生きていこうとする姿を描いた作品である。天童がこの作品に取り組んだのは35歳から38歳までの3年間。世間も出版社も次回作を待つ中、350枚書いて、これは違うとすべて捨てて書き直したこともあったという。単行本1冊分もの原稿を自らボツにするのは、なかなかできることではない。
『永遠の仔』を書いた3年の年月を、天童は本当にきつかったと振り返った。