足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年7月9日

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 けれど、反体制派のアリは試合に負け、アリが「アンクル・トム」と呼んだ体制派のジョーは、有能な番犬のごとく勝利した。

 私は、しばらくは暗い時代が続くと感じた。大国が暴力を押し通す国際政治は続き、多数派が少数派を差別、排斥する社会体制も変化なし。私のように金も力もない若者には、辛く困難な未来が待ち受けている、と。

アリの敗北に受けた異常な衝撃

 今思えば、私がアリの敗北に異常な衝撃を受けたのは、時代背景というよりも、かなり高まっていた個人的不安感のせいだろう。

 その頃私は、世界一周放浪の旅に出発する直前だった。南米のブエノスアイレスあたりまで行き、そこから友人がいるヨーロッパへと船で渡るつもりだった。

 ところがアリゾナで半年近く働いても予定の旅行資金が貯まらず、独学のスペイン語もほとんど進歩はなかった。加えて、ビザ更新の際に、訪れたメキシコの町ノガレスで垣間見た「国境の南」に広がる光景……。

 ほんの数十分の滞在だったが、子ども連れの困窮者を何組も目にした。垢と埃まみれた衣服、力のない瞳、苦悩に歪んだ表情。アメリカでは見たことのない種類の人々だった。そして目を上げると、ハゲ山のスラム街。

 あの中にこれから入っていくのかーー。

 モハメド・アリがキンシャサでジョージ・フォアマンにKO勝ちして「奇跡の復活」を果たすのは1974年の10月だ。その頃には私は、約1年半の海外放浪を終えて帰国し、週刊誌の取材記者として働いていた。

 そして独立して物書きになり、愛読していたボブ・グリーン著『チーズバーガーズ』(1986年)の中で、アリを再発見したのだ。

 ボブ・グリーンのコラムはルポ調のものに佳作が多いが、アリに短期間密着した『世界一有名な男』はその白眉と言える。

 ワシントンのイスラム教徒の集会で演説するアリに、シカゴ空港から同行する話だ。引退後約2年のアリは当時41歳、パーキンソン病を発症する前の健康だった最後の時期だ。

 空港でも機内でも、アリが姿を見せるとその場の空気が一変する。人々は声をかけサインをせがみ、突然「儲け話」を切り出したりする。中には、感激の余りその場に跪く人も。「世界一有名な男」ゆえの現象だ。

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