2024年4月25日(木)

WEDGE REPORT

2016年7月28日

 そのため、2013年にカタルの時の首長ハマドが、息子のタミーム皇太子に生前譲位を行ったことは、従来の慣習を破るものであり内外で驚きをもって迎えられた。サウジアラビアやクウェイトなど近隣の湾岸諸国の君主の年齢が80歳を超えるなか、当時ハマドは61歳とまだ若く、健康を害しているという噂もなかった。ハマドが生前譲位に踏み切った理由は定かではないが、これまで2回連続で宮廷クーデターによる王位の交代が行われていたカタルにおいて安定的な権力の委譲を行うこと、そして自身が推すタミームへの王位継承を確実なものとすることが目的だったと考えられている。

 ハマドからタミームへの交代は、当時カタルの外交方針が近隣のアラブ諸国と競合・対立関係にあり、サウジアラビアやエジプトとの関係が悪化していたことから、こうした路線を転換させる契機にもなりうると見られた。しかしながら、タミームが外交においてもハマド同様の路線を進めることが明らかになると、実際の外交案件を握っているのは依然としてハマドであるという見方も出てくるようになり、タミームには決定権がないと評価する向きもある。

 政策決定過程が外から見えないため、ハマドがタミームにどのような影響を及ぼしているかは不明である。しかし、ハマドが皇太子の座を3男のジャーシムから4男のタミームに移した背景には、当然ながらタミームを自身の後継者として選ぶのに好ましい素養があったからであろう。院政による二重権力の発生が問題になるのは、権力者のどちらの判断が優先されるのかが判然とせず、両者の間に権力闘争が発生するからであろう。退位した君主と新たに即位した君主との間に政策上の不一致がほとんどないのであれば、二重権力による問題は避けられると考えて良い。

 翻って、日本の天皇制について考えてみると、政治的な権力を有しておらず、内閣の助言と承認によって国事行為を行う天皇という地位は、仮に生前退位が実現したとしても、権力の二重構造が生じる可能性は極めて低いのではないだろうか。

勝手に辞めてしまう国王

 君主の自由意思による退位に関するもう一つの問題は、君主が果たすべき職務を放棄する事態が起こりうるということだ。院政とは対照的に、君主が権力に固執せず、退位後に影響力を行使しないケースがこれにあたる。もっとも、先に述べたように、通常は終身制をとる中東の君主制において、君主が自発的に退位する例は非常に少ない。

 そもそも中東諸国では日本のように生まれによって王位継承の順序が自動的に決まるような制度をとっておらず、国王が王族の中から皇太子を指名するという形式が一般的である。そのため君主になる意思がなかったりその資質がないと見なされたりすれば、現君主の長子であっても皇太子に指名されないということがしばしば起きてきた。

 こうした理由から、近年で自発的に退位をした上で権力から完全に遠ざかった人物は中東の君主国家のなかにはほとんどいない。やや時代が遡るが、オマーンのタイムール国王はこれに当てはまる数少ない事例であろう。タイムールは1913年に即位したが、国内では地方部族による反乱が相次ぎ、内陸部には事実上の自治区が形成されてしまった。


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