2024年4月25日(木)

WEDGE REPORT

2016年7月28日

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 こうした宮廷クーデターは、国内外の支持を得て早期に終息する場合もあるが、国家を二分し、外国の介入を招くことにより問題を複雑化させることもある。サウジアラビアでは1950年代から60年代にかけて、兄弟であるサウード国王とファイサル皇太子との間での紛争が顕在化し、大きな問題となった。

 サウードは放漫な財政政策や私生活の乱れを諸王族から非難され、首相の座とともに政治的な実権をファイサルに委譲することを余儀なくされた。その後、サウードは改革派王族と結託し、勢力を回復させて首相の座を取り戻したり、国王親衛隊を動員してファイサル派と一触即発の事態をも作り出したりしたものの、最終的に主要王族や部族、聖職者、改革派勢力はファイサル支持で一致し、サウードを国王の座から強制的に退位させた。だが、退位したサウードは当時サウジアラビアと対立していたエジプトに移り、自分の退位はファイサルの陰謀であるとして、自身の君主としての正統性を主張し続けた。

 興味深いことに、ここで挙げた事例はシャルジャを除いていずれも皇太子(あるいは事実上の後継者)が主導したクーデターである。すなわち、将来的に君主の座に就くことが約束されているにも関わらず、現君主の追い落としを主導していることになる。これは、宮廷クーデターが王位を巡る権力闘争を理由として発生するだけでなく、現君主の資質が問われる場合にも発生するということを意味しよう。

 日本では、天皇の地位は象徴であって、国政に関する権能を有しないことが憲法上規定されているため、権力を目的にした生前退位の強制が行われることは想像しがたい。しかし、政治的な理由によって天皇の資質が問題視され、生前退位が強制される可能性はゼロとは言えないだろう。サウジアラビアの例が示しているように、君主としての資質が問題視され、その理由が多くの者に支持される場合は、君主に退位を迫ること自体が正当化されうるからである。

 もっとも、こうした非常事態においては軍の動員などの非常手段が行使されるのが常であり、制度で生前退位を禁止しておくことが宮廷クーデターを防ぐ抑止力になりうるのかは別に検討する必要があろう。

院政が生み出す二重権力

 宮廷クーデターのように君主の意思に反する退位が強制されるのと対照的に、君主の意思一つによって自由に退位が可能である、というのも同じく問題含みである。もっとも、この問題は二つの相反する要素から成っており、一つは退位した君主が権威や権力を持ち続け二重権力が生じかねないという問題、もう一つは君主が恣意的に職務を放棄しかねないという問題である。

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 前者は、院政という言葉があるように、日本の歴史上においても馴染みの問題と言えよう。他方、現代の中東では、君主が自発的な意思によって生前退位をすることは稀である。君主が政治的な権限を皇太子や首相に分散させ、日常の政務・公務から遠ざかる例は多いが、君主の地位は死ぬまで保持することが一般的だ。例えば、サウジアラビアではファハド国王が1995年に脳卒中で倒れ職務の遂行が不可能になったが、2005年に死去するまでの10年間、アブドゥッラー皇太子が事実上の統治者として政務・公務の全権を担ったものの、王位はファハドが持ち続けた。

 UAEでも2014年1月にハリーファ大統領(アブダビ首長)が脳卒中で倒れ、現在に至るまで一度も公の場に姿を見せていない。そのため、アブダビ皇太子のムハンマドが実質的な国家元首として振る舞っているものの、連邦政府の大統領、そしてアブダビ首長国の首長という地位は、ハリーファのままである。もっとも、これらはいずれも病気を理由にしたものであり、仮に生前退位が行われたとしても院政のように前の君主が権勢を振るうことは期待できなかろう。


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