今から1年前の夏、写真家の小平尚典氏から「御巣鷹の尾根に一緒に登らないか」と誘われた。小平氏は今から31年前の8月12日、日航ジャンボ機墜落現場に最初にたどり着き生存者の発見にも立ち会ったカメラマンである。
事故後30年の節目の年に御巣鷹の尾根がどうなっているのか、ドローンを使って空撮し記録に残すというのが小平氏の提案だった。現場へは自分の足で登ることはできるが上空からの映像はドローンでなければ撮影できない。報道ヘリからの映像は距離を感じ、もっと低空からの空撮映像を見てみたいのだという。
まずは、ドローンで撮影した御巣鷹の尾根の映像をご覧いただきたい。
30年後の御巣鷹の尾根の様子
1985年8月12日18時56分、羽田発大阪行きの乗員乗客524人を乗せたJAL123便が消息を絶った。場所は群馬県と長野県の県境あたりの山中で、夜通し捜索救助活動が行われたが夜間は現場を特定することができなかった。翌朝になってようやく墜落現場が御巣鷹の尾根であることが特定された。生存者は4名。520名の尊い命が奪われた。
事故当時私は小学生であったが、この悲惨な事故のことはよく覚えている。番組の途中ニュース速報で一報が伝えられ、すぐさま特別番組が編成され、墜落現場を特定していく過程がリアルタイムに報じられた。翌朝発見された生存者がヘリコプターに救助されるシーンは今でもはっきり覚えている。
鬱蒼とした山中と急勾配の登山道
当時考えられた事故現場である御巣鷹山へのアプローチは2つ。ひとつは群馬県側の上野村から行く方法で、もうひとつは長野県側の南相木村から行く方法である。当時小平氏は救助本部のあった南相木村の小学校から自衛隊とともに事故現場を探しながら徒歩で登っていったそうだ。現在は群馬県側の上野村に慰霊登山者のための駐車場が設けられている。東京からクルマで約4時間、小平氏とともに御巣鷹の尾根登山道入り口まで向かった。
墜落現場には現在「昇魂の碑」という慰霊碑が建てられているが、そこへは駐車場から800m、高低差180mを徒歩で登らなくてはいけない。ちなみに駐車場の手前数キロの地点から携帯電話は圏外であった。
鬱蒼とした森の中、急勾配の登山道を30〜40分登りきったところに小さく開けた場所がある。ここが123便の墜落現場だ。そこに「昇魂の碑」が建てられている。
下の写真は御巣鷹の尾根の全景である。中央部の地肌が見えている部分が現在「昇魂の碑」が立っている広場である。当時の報道ヘリからの映像を思い出すと辺り一面が茶色くえぐられ周辺の木々も焼けただれていた印象であったが、30年の年月により大部分は育った木々によって修復されている。しかし、「昇魂の碑」から右側に向かって123便の機体後部がずり落ちた形跡が今でも上空からはっきり見て取れる。