そのずり落ちた先の谷の部分が「スゲノ沢」である。
「昇魂の碑」から南側に目線を向けると遠くの尾根に「V字溝」が見える。御巣鷹の尾根に墜落する直前、123便の主翼がえぐったものである。
下の写真は「スゲノ沢」。30年の年月を経て同じ場所に立つ小平氏。
当時現場はどこから手をつけていいかわからないほどの凄惨なもので、駆けつけていた上野村の消防団の人々はただ呆然とそこに立ち尽くしていたそうだ。そのとき、残骸の中でピカッと何かが光った。それは最初に発見された生存者が降った手にはめられていた銀の指輪だった。
生存者4名すべてはこの「スゲノ沢」で発見された。山中に激突した機体はその後方がちぎれて山腹を滑り落ち、沢で止まったのだ。現在の「スゲノ沢」には遺族の手でたてられた数え切れない墓標がある。
現場で救助を待つ人はさることながら、現在のようにスマートフォンもGPSもない時代、漆黒の闇の中を手探りで救助に向かう人々の苦労は計り知れない。当時現場にいたひとりである小平氏本人からのリアリティ溢れる様々な話は勉強になることばかりだった。
航空の安全とは
航空の業務に携わるものなら必ず知っている航空三原則というものがある。ひとつは「機体の安全」、もうひとつは「操縦の安全」、最後に「運用体制の安全」がそれである。簡単に言えば「機体の安全」は機体の設計や構造、製造や整備に関することであり、「操縦の安全」はパイロットの技能や訓練、客室乗務員の緊急時の対応などがそれに含まれる。最後の「運用体制の安全」は航空管制や航空機の管理、気象などが含まれる。123便の事故は事故報告書によれば機体後部の圧力隔壁の修理不全が原因とされているがこの三原則で言えば「機体の安全」にあたる。
航空機は以前からフェールセーフとして油圧系統が2系統用意されており、1系統がダウンしても残されたもう1系統で飛行を続けることができるように設計されているのだが、この123便の事故はその2系統とも油圧がダメになった。この事故以前には想定されなかった油圧系統がすべてロストした場合の訓練プログラムもシュミレーターを通じて行われるようになった。これが「操縦の安全」だ。
GPSのなかった当時、墜落地点をなかなか特定できなかったが、航空管制やJALなどがこのようなリスクを想定し評価しておくことも重要だっただろう。これが「運用体制の安全」である。
現在私は、いくつかのドローンスクールで無人航空機の講師を務めているが、無人航空機の分野においてもこのことを生徒に教えている。ドローンは本物の航空機に較べればおもちゃみたいなものという人もいるかもしれないが、3つの安全が担保されない限り墜落というリスクを回避することはできない。そういった意味では、本物の航空機も、無人航空機も同じであると考える。
昨年この映像をYouTubeに公開してたくさんの反響があった。不幸な現場でドローンを飛ばすのは不謹慎だという方もいるかもしれないが、遺族の方、特に高齢で慰霊登山ができなくなってしまった方々からは自分の代わりにドローンが現場の様子を伝えてくれたので安心したというお言葉もいただけた。
事故後30年が経って、これで終わりだというような風潮があるかもしれないが、航空に携わるものとして記録に残していくことの重要性を強く感じている。
小平尚典氏が撮影した事故当時の写真集である『4/524 日航123便御巣鷹山墜落事故写真集 』を以下、ご紹介する。
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