●先生は、マンチェスターを皮切りに世界各地をめぐっていますが、外国語の問題はありませんでしたか?
――ぼくの中では日本語が特権的な立場をあまりもっていないので、外国語と母語とのギャップが小さくて、英語を使うのはとくに問題はなかったんじゃないかと。それでいうと、日本語だけずっと読んでいると飽きますね。一回、実験として夏休みにずっと日本語ばかり読んでみたんですが、内容とは別に一週間で飽きました。ずっと日本語ばかり読んでると、言葉の味わい、質感がどんどん貧しくなっていくんですよ。
多くの人は、外国語学習のときに母語をモデルとし ていて、できるだけ自分に自然に、透明にやろうとする。でも、たくさんの言葉を母語レベルで操れる人、大人になってから複数の言語を操るようになった人というのは、まったく逆。自分に自然に、ではなく、違う人格の自分として言葉をしゃべろうとするんですね。
アナウンサーがアナウンサーとしてしゃべる言葉を訓練するときに、自分が自然に話している言葉ではなくて、アナウンサーという役割を演じるときの、違う人格の自分としての言葉を学ぶのといっしょだと思います。
ぼくの場合、音声はあまりうまく演じられませんが、文字のほうは演じますね。言葉が貧しくなったと思ったら、文芸評論家のエドワード・サイードの文章を読んで真似てみたりします。サイードも英語が母語ではない人ですけど、美しい文章を書くんですよ。
●最近は翻訳者支援サイトにも力を注いでいますね。
――翻訳には、言葉の姿を結びつけたり並べ替えたり、モノの操作的な面があるところが好きです。
僕は計算言語学もやったし、コンピュータも使えるので、システムを作って翻訳を支援しようと始めたのが「みんなの翻訳」です。このサイトは、機械翻訳のようにすべての構文を自動変換するのではなく、あえて浅い処理で、文章中の単語や熟語を、辞書とマッチさせます。本来の機能は辞書引きを楽にすることです。
最近では、インターネットによってずいぶん電子辞書が普及しだしました。自動翻訳ができるサイトやフリー辞書も出てきて、みんな「成長する辞書」を期待しているように思います。でも本来ならば、何事にも意思決定をするということが人間の人間たるポイント。だから、翻訳する単語の候補は提供するけれど、言葉は選んでもらいたい。人間はもっと賢くなれるというのが、僕のモットー。平板になりがちなコンピュータの世界に、人間の意思決定で奥行きを与えたい。
●辞書、言語学、メディア論、翻訳、言葉が浮遊する世界……。これらをつなぐものは?
――自分が感じる言葉の世界を周囲に伝えたくて、僕は研究を続けているんだと思います。たとえばジャーナリストも、自分が見聞きした世界の衝撃を伝えたいわけでしょう。子どもが大人になって言葉の質感が失われるのはいかなるメカニズムなのかとか、どういう社会なら「言葉のあわだち」が失われないのか、とか。「あわだち」をキーワードに研究を続けていきたいですね。
◎略歴
■影浦 峡〔かげうら・きょう〕東京大学大学院教育学研究科教授。1964年生まれ。専門は、図書館情報学・計量言語学・言語メディア論・専門語彙論等。学術情報 センター助手、マンチェスター大学科学技術研究所客員研究員、国立情報学研究所助教授等を経て、現職。きのこ好きでもある。
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