2024年11月18日(月)

WEDGE REPORT

2017年2月26日

 ファシズムは民主主義と共にやってくる。それは歴史の示すところである。政権に就くや議会を無力化し、憲法を停止するか、改変し、一党独裁とする。ところが、民主主義のもと、それが可能なことを証明した国がある。欧米にファシズムの臭いが立ち込める中、一足先にファシズム独裁を築きあげたベネズエラをケーススタディしてみた。

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ファシズムを産む土壌

 ファシズムは旧体制を一掃し、外交を含め、社会の仕組みを180度変える。それを可能にするためには、既存政党への幻滅、経済の崩壊など、国民の不満がふつふつとたぎっていることが必要条件である。そして人々の憎悪を焚きつけ、国を分裂させる才能あるパフォーマーの存在が十分条件。ベネズエラの場合も同様だ。  

 1990年後半、過酷な新自由主義により格差は拡大していた。ベネズエラの唯一そして最大の輸出原資の原油価格はバレル14ドル~19ドル前後と低迷していた。貧困層は50%前後だった。

 そんなとき、貧者のためのボリバル革命を唱える、政治の素人の単純明快な言葉は、国民の耳に甘い誘惑となって響いた。「既存政党を一掃する」、「支配階層を撲滅する」、「金持ちは許さない」。また、日本を含む海外の左翼系の研究者やマスコミにも、ある意味自らのアイデンティティを証明するものとして魅力的であった。賛美さえした。

人気のあるうちに憲法を変えろ

 独裁者(チャべス)は、98年に大統領選に勝利し(得票率56.2%)、99年2月に政権を樹立すると、新憲法制定議会選を実施して大勝利を収めた。チャべス派128人、与党はたったの6人。

 社会主義色が濃い新憲法が99年12月15日に制定された。大統領権限の強化を狙い、5年の任期を6年、再選を可能とし、議会は二院制から一院制に改められた。国名さえ変えた。「ベネズエラ共和国」から「ベネズエラ・ボリバル共和国」。日本が「日本・大和国」と改変したようなものである。

 ボリバルとは、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアの独立の父で南米統一を目指したシモン・ボリバルのことである。チャべスは、自身を英雄の再来と自認していた。 

 その後、南米の領主となるため、国家予算をカリブ海地域と南米の左翼系の政府の支援にあてた。周辺国にとっては、寛容な打出の小槌となった。偶然、新憲法が承認されたその日はバルガス地方に豪雨があり、土砂崩れなどで8000人の死者が出た。ベネズエラでは二つの意味で「バルガスの悲劇」と呼ばれている。

大統領令(=授権法)を活用し、大企業を影響下に置け

 2000年11月、議会は、大統領に期限つきの授権法を付与した。大統領が単独で政令を発布し法律を施工(議員定数5分3で承認)するもので、ナチスドイツの全権委任法が授権法としては名高い。翌年、独裁者は矢継ぎ早に炭化水素法、土地・農村開発法など49の大統領政令を発布した。

 その中で最も重要なのは、石油公社にかかわる法令だった。政府へのローヤルティの支払いを16.7%から30%に引き上げ、その資金を貧困撲滅などの社会開発資金に充当する。さらに、公社の人事に手をつけようとし始めた。能力ではなく、親チャべスか否かを重視するポリティカル・アポイントメント(政治任命)を推し進める。

 この年には、99年当時80%もあった支持率が50%前後に急落した。格差是正が軌道に乗らない。不況である。原油価格は低迷を続けている。独裁と社会主義への反発も高まった。

 このような状況下、2002年には、民主主義者、旧支配層、テクノクラート、知識人らによる、チャべス追い落としクーデターが起き、その後、石油公社主体のゼネラルストライキ、大統領罷免要求へと続き、2004年には大統領信任投票が行われた。独裁者は58%の信任を得て勝利した。

 4年の間に石油公社の利益を様々な貧困撲滅などの社会事業に充てたことが、貧困層に支持されたからである。この年には原油価格もバレル32ドルに上がっていた。


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