返還20年ということで日本のメディアも香港を数多く取り上げたが、なぜそもそも黄之鋒は活動家になったのか、その原点を聞いてみた。
「小学校2、3年生の時に中国に行ったんです。そのとき、グーグルやフェイスブックが使えなかったことに衝撃を受けました。また、当時は(任天堂が発売した携帯型ゲーム機である)ゲームボーイが好きだったのですが、それも中国本土では買うことができず、ゲームボーイに似た偽物だけが売られていました。この時に中国は香港とは違うのだなと初めて感じたのです」
中国と香港が違うということと、「中国を嫌うこと」では意味が異なるが、「最初に中国をイヤと感じたのは、トイレの使い方が汚い点でしたね(笑)。ですが、それで中国本土の全ての人を本当に嫌いになったわけではありません」という。
一方で、中国政府に対しては全く違う感情が芽生えた。
「11年に天安門事件のことを学校と両親から学び、中国政府は正しいことをしているとは思えなくなりました」
翌12年に香港政府は「中国人としての誇りと帰属意識を養う」ことを目的とした愛国教育を進めようしたが、すでに天安門事件を勉強していた黄之鋒は反発。ハンガーストライキなどを行い、香港政府は事実上、愛国教育推進を撤回に追い込まれた。
16年の立法会選挙では、年齢制限があり黄之鋒と周庭は立候補できなかったが「次回の選挙はもちろん立候補しますか?」と尋ねると、2人とも「まだ考え中です」と答えたが、その顔はまんざらでもないように見えた。彼らが組織する政党、「香港衆志(デモシスト)」は、羅冠聰(ネイザン・ロー)という最年少立法会議員を輩出した。しかし、民主派内は、独立を主張する「本土派」の政党や、どちらかというと中国に対しても融和的な政党など派閥によって志向性にグラデーションがあり、一枚岩ではない。このようなわけで、一致団結して当選を目指す「親中派」の勢力に比べると、選挙では不利といえる。
黄之鋒は「比例代表制・最大剰余方式は小政党に有利にはたらくので、8%位の票さえあれば当選できます。社会の雰囲気が良ければいけます」と政党間での調整は必要ないとの認識だ。周庭は「(香港独立を主張する『本土派』の)青年新政の立法会での宣誓問題によって、彼らの勢力自体が弱くなってしまっています。彼らは民主党とは直接話しにくい面もありますが、私たち香港衆志は両政党とも話し合うことができます」と、民主派内での統合と融和に一役買えるという自信を示した。
「1国2制度」が終わる47年、この2人は51歳になる。もし政治家になっていたとしたら、すでに30年近い経験を誇るベテラン政治家で、一番油が乗っている時期だ。
「私たちはその時の香港社会を支える世代ですから責任があると考えています。イギリスと中国との香港返還の交渉に、香港人は参加することができませんでした。47年以降の香港は、自分たちで決めていきたいです」と黄之鋒と周庭は口を揃えた。