03年7月に、香港版「治安維持法」ともいわれる基本法23条に基づく国家安全条例の立法に反対する「50万人デモ」が発生したとき、周庭はまだ小学校1年生だった。
「わけのわからないまま親に連れられてデモに参加しました。子どもでしたから、『大人がなんで、こんなに叫んでいるのだろう。暑いから帰りたいなと思っていました(笑)』。日本人が持っている民主的な権利は、香港人は持っていないもので、私たちはそれを追い求めています。ですので、大切にしてほしいです。そして不正義・不公平に気づいたら声を上げてください」。
7月1日を前に金紫荊広場を占拠
6月29日から7月1日までの習近平国家主席の来港に合わせ、黄之鋒らは他の民主活動家と一緒に、湾仔(ワンチャイ)地区にある金紫荊広場(ゴールデン・バウヒニア広場)を占拠した。観光地として有名な広場の中心には、返還を記念して中国が香港に贈った植物で、香港の花であるバウヒニアを模った黄金のモニュメントがある。そこに「(ノーベル平和賞受賞者で、服役中に末期がんと診断された中国の民主活動家である)劉暁波氏を無条件に釈放せよ」、「香港市民は真の普通選挙がほしい」という横断幕を掲げた。
香港警察は、最後は公衆妨害罪で活動家らを逮捕。占拠していたメンバーは強制排除された(長時間拘束された後に釈放された)。後日、周庭に話を聞くと「昔から金紫荊広場を占拠するアイデアはあったのですが、実際に決めたのは前日です」。ちなみにこの広場は、返還式典が行われた「香港会議展覧中心(香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター)」のパーティー会場から数分という近さだ。仮に習主席が目撃したとしたら、一体何が起こっていたのだろうか?
運命の7月1日を迎える
返還20年を迎えた7月1日、朝。占拠された金紫荊広場で国旗の掲揚式が行われた。そして、パーティー会場に場所を移し、返還セレモニーが行われた。ここで習主席は「中央の権力と香港基本法に挑戦する行動は越えてはならない線に抵触しており、決して許さない」と、独立の動きに対して断固たる姿勢で臨むことを鮮明にした。国旗の掲揚と式典は従来通り。習主席の独立へのけん制も本人の口からはっきりと出たというだけであり、ある意味「織り込み済み」で、これといった特別感はなかった。