ここに立ち寄らないと、忘れ物をしてきたような気分になる。「名古屋に来た」気がしない。そんな店がある。
「大甚〔だいじん〕本店」という。
選択に迷うのも大甚ならではの楽しみだ
創業1907(明治40)年というから、すでに百年を越える。居酒屋の教科書とでもいうべき店である。「ここを知らねばモグリ」という言い方があるが、こと、名古屋あるいは居酒屋については、その通りかと思う。大阪の宝、阿倍野の明治屋と同様に。
たいていは鮨詰め。しかし、この店ではイヤではない。まあ、お互い様という空気が出来ている。肌で感じる。
ビールか酒を頼む。そして、肴。
大皿から取り分けた小皿が並べてある。煮付けであったり、和え物、おひたしであったり、ポテトサラダのような惣菜だったり。客は自分で好きな物を取る。お刺身などは冷蔵のショーケースの中。注文して、出してもらう。
酒はほぼ賀茂鶴の樽詰めで、それを燗にするが、これが素晴らしい。普段は冷酒だのワインだの言っている人間が、ここのお燗を飲めば黙る。何気なく、お猪口まで温めてある心遣い含めての滋味に。
心遣いといえば、肴も同じ。どこにでもあるようなものでいて、違う。丁寧に作られた真っ当な料理であることが、すぐ知れる。
酒と肴。店の雰囲気。経営する家族、スタッフから常連客まで全体で、黄金のバランスのようなものが、おそらくは長い時間の中で作り上げられている。常連ならずとも、常識さえあれば、違和感はない。なじむ。そんな得難い店である。伝統の力。
寄らずに帰るのが惜しいということも、一度、訪ねたらお分かりのはず。
長居が無粋なのは、どこも同じだ。ご主人に名物の五玉のソロバンで勘定をしてもらう。飲み食いした器や徳利がそのままのテーブルで、それを数えての明朗会計である。
え? けっこう飲み食いしたと思ったのに、それだけ? ならば、もう一軒。
今度は「島正〔しましょう〕」。すぐそばだ。
大甚が「日本の正しい居酒屋」であるとすれば、こちらは「名古屋の正しい居酒屋」。大甚にはそれほど地域性を感じないが、島正はローカルな味の極致だということだ。
八丁味噌に代表される、米も麦も使わぬ豆味噌の味がその根幹ではないか。慣れ親しんだ基本調味料の味が、嗜好を形成する。強いうま味、甘み、コクの豆味噌が中京圏独特の食文化の背景にあると思うのだ。
とはいえ、外部の人間には受け入れられぬもの、ということでもない。たとえば、この島正の味噌煮込みであれば、違和感などまったくないはずだ。串揚げに味噌だれをかけた名物も同じ。この地域の味を、みごとなバランスで普遍的な味わいにしている。
その一番の好例が、大根。10センチはあるかという輪切りがそのまま煮込まれている。芯まで味が染みているが、煮崩れない。見事に。そして普遍的に旨い。深い。