8月の日めくりが少なくなってくると、夏休みの終わりが近づいてきます。宿題の残りが予想以上にあって青くなったり、その宿題をめぐって親子げんかをしたりしたのも、今となっては懐かしい想い出です。
久しぶりに学校へいく準備を始めると、浮かんでくるともだちの顔。休み中も毎日のように会っていた子もいれば、まったく会わずに過ぎてしまった人もいます。早く会いたいような、なんだかちょっと照れくさいような…。それぞれが過ごした時間を抱えて再会する2学期のスタートは、春の新学期とは別の緊張がありました。
転校生の苦労
それでも、アルノの『とくべつな いちにち』(講談社)に比べたら、それは楽しみなことといえるでしょう。元転校生の私は、アルノの緊張がよく解ります。はじめて教室に足を踏み入れて、先生に「みなさんの、あたらしいおともだちのアルノくんですよ」と紹介された時、「このまま、家に帰っちゃおうかな…」と思うこと。アルノもみんなも、ただ見つめあうしかない時間が流れる気まずさ。それでも、一日いっしょに過ごし、帰るころには「アルノくんとあそびたーい!」と言われた安堵感が、教室を出てきたアルノの表情に出ているようです。アルノを迎えるお母さんの後ろ姿や、初めて顔を見せて教室から二人を見送る先生の表情からも、アルノの「とくべつないちにち」が、無事に終わったことが伝わってきます。
転校生だった自分を、大人になって客観的に思い出せるようになったとき、「がんばっていたねぇ~」と褒めてやってもいいかも? と、思いました。と同時に、受け入れてくれた級友たちに、改めて感謝の念でいっぱいになりました。子どもには子どもの社会があり、大人の目が届きにくいことも事実です。子どもたちは誰もが、その年齢に応じて、自分で対処していかなければならないことがたくさんあります。転校生という立場で学校生活を送り、新しいともだち関係を作るのは私自身でした。それでも、親を始めとした周りの大人たちが見守り、サポートしてくれたことは感じていましたし、それは今も絶対に必要なことだと思います。そして、ともだちの存在、ともだちができるかどうかは、子どもにとって重要なことも、変わらない事実だと思います。
山の見える街に引越してきたかなえは、大人は忙しくて相手をしてくれないので、ひとりです。「ともだちが いなくて つまらない」そうつぶやいたとき、『とん ことり』(福音館書店)、郵便受けにすみれやたんぽぽの花が入れられ、手紙まで届きました。「だれかなぁ?」と思い、郵便受けにおりがみの人形を見つけたとき、「まって、まって、まってよう!」と玄関の扉を開けたかなえは、やっと贈り主と会うことができました。そして、言われたのです。「あそびにいこう―」それは、引越してきた場所に自分の居場所ができ、新しい世界への扉が開いた瞬間でした。
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