2024年12月8日(日)

佐藤忠男の映画人国記

2010年10月9日

 伴淳三郎(1908〜81年)はドタバタ喜劇を中心にしていたので、脇役としていくつかの名演が知られていても、もうひとつ俳優としての評価はパッとしないが、私の考えでは人生の苦渋の表現においても第一級の名優であると思う。黒澤明の「どですかでん」(1970年)での、顔面神経に障害のある男の心に秘められたプライドの高さの名演を見よ。山形県は米沢市の出身。少年時代から社会の下積みの辛酸をなめてきた人である。山形弁で売り出した。

 おなじコメディアンで、ケーシー高峰が現在の新庄市出身である。医学の話題をギャグに使った漫談で芸風を確立した。

 二枚目には成田三樹夫(1935〜90年)がいる。酒田市の出身で山形大学の演劇研究会から上京して俳優座養成所に進んだ。つまり新劇の道のど真ん中を歩んだのだが、プロとしてのデビューは大映の映画で、主としてニヒルでインテリふうの悪役として一家をなした。「兵隊やくざ」(1965年)や「仁義なき戦い」(1973年)などが印象的だった。

 いま若手でがんばっているのは、米沢市生まれの眞島秀和である。「悪人」(2010年)で評判の李相日監督が日本映画学校の卒業制作として作った「青〜chong」(1999年)でデビューし、学生映画ながら名作として注目され、主役の彼も知られるようになった。以後「スウィングガールズ」(2004年)、「血と骨」(2004年)、「フラガール」(2006年)と話題の作品に出ている。

 山辺町生まれの峯田和伸も俳優として期待できる。パンクロックバンド「銀杏BOYZ」のボーカルをやりながら「グミ・チョコレート・パイン」(2007年)、「色即ぜねれいしょん」(2009年)などの野心的な作品で好演している。

「Shall we ダンス?」でダンスに魅せられたオバサンを演じる渡辺えり
©1995 角川映画 日本テレビ 博報堂 日販 
DVD:4,935円

 女優ではあき竹城が米沢市出身である。おしゃれなショーの名門だった日劇ミュージックホールでダンサーとして魅力をふりまいていたとき、山形弁を使ったのが受けて喜劇女優への道が開けた。今村昌平監督の「楢山節考」(1983年)での、緒形拳演じる主人公の百姓の後妻玉やんなど、見るからに生活力の旺盛な女に見えて、誇張した演技などしなくても自然に笑えるところがいい。

 第一線であぶらののりきっている女優としては山形市出身の渡辺えりをあげなければならない。県立山形西高校卒業後、東京で新劇修業をして、劇団「3〇〇」をひきいる作家、演出家、女優になった。映画では周防正行監督の『Shall weダンス?』の社交ダンス教習所に通う女性がなんともおもしろくて素晴らしいコメディエンヌぶりである。

 こうしてみると男優も女優も山形県出身は喜劇系が強力で優勢である。山形弁がそこでモノを言っている。方言を笑うのは差別だが、そこを逆手にとって方言ならではの語感の温かさを主張するのは間違ったことではない。関西系のお笑いの芸人たちは関西弁を自信満々で使っているではないか。負けることはない。


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