2024年6月16日(日)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月13日

浜野保樹教授

 実体があって言葉がある、という順序じゃなくて、言葉が生まれて、実体が照射・認識される、という方が往々にして正しい。

石坂 まったく同感です。

浜野 なにかに名前を与えようとされたとき、石坂さんを動かしていた動機はどういうものだったんでしょう。

石坂 言ってしまえば、仕事上の要請からです。

 東芝音楽工業で、イギリスのロックを担当していて、その比重は相対的に大きかった、と。

 そこに、だんだんとイギリスで主流になりつつはあったが、アンダーグラウンド出身の音楽を扱うレーベルで、「ハーベスト」というのが随分と見えてきた。

 前衛音楽、過激なメッセージ性を秘めた音楽、などです。そしてその代表格が、ピンク・フロイドだった。これを、なんとか売りたいな、というのが動機です。

 ピンク・フロイドって、聴くと、かなりきれいな音楽なんですね。そこに、破壊的な主張が込められている。これだとか、ティラノザウルス・レックス(1970年2月以降バンド名改めT.Rex)を売らなくちゃ、ていうんで、思いついたというのが当時の事情です。

 そうしたエクストリームの音楽というのは、おしなべて、アルバムのジャケットがいいんですね。それ自体、モノを言っているんですよ。詞にも、何かが潜んでいる。

 だから、言っちゃうと、「このアルバム、アタマ悪い人、聴かないでよ」(笑)、っていうこと。で、「このアルバムは、聴く人を選ぶ」ってキャッチコピー考えた。「音の塊であって、音楽ではない」とかね。

浜野 「超然主義」ですね、大衆迎合の正反対。それが会社で許されてた?

石坂 いまみたいに組織立って、秩序立った音楽ビジネスなんてのは、全くないから。上の人も、わからない。売ってる商品のことが。それに費用もさしてかからないし。自分でタイトルつけて、自分でテスト盤もって、足で歩くんだから。

深夜放送でかけさせたくて

浜野 その頃ですか。放送局で朝の4時ごろまで粘って、新譜をかけさせたって聞いていますが。

石坂 当時は深夜放送というと、午前1時から3時までが第1部。TBS、文化放送、ニッポン放送、みなそうでした。3時から5時までが、2部なんです。

 TBSで深夜放送やってたのが、福田一郎(1925-2003)さんていう評論家。亀淵昭信さん、糸居五郎(1921-1984)さんが、ニッポン放送。土居まさる(1940-1999)さんが文化放送。 

 大学生とか予備校生が深夜放送聞いてたでしょ。ここでかかったら、他局もかけてくれるんです。ひとつの基準がそこでできてましたよ。


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