したがいまして、例えばピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」って曲。これ、結局プロレスで使われて、アブドーラ・ザ・ブッチャーがリングに上がる時のテーマになったんですが(笑)。
そういう邦題つけたインストゥルメンタル曲をかけさせたかった時、夜中の12時ごろが選曲する時間ですから放送局に持っていったら、「えぇ? こんなの?」って言われるのを、「そこをなんとか」と。「朝まで粘り強く居ますから」、と。
「じゃ居てごらんよ、居たらかけてやるよ」なんて挑発するもんだから居たっていう、そういう話。起きてるの、そんなに苦痛じゃなかったのでね。25歳くらいだから。
日本語タイトルに執着したワケ
浜野 いままさに出た邦題ですが、ほかにも「原子心母」とか、さっきから翻訳の仕事が洋楽マンの任務だと仰ってます。このことをもう少し。
石坂 原点は、映画のタイトルです。原題を忘れましたが「雨のしのび逢い(Moderato Cantabile)」(1960)っていうタイトルのつけ方。うまいね。それから「太陽がいっぱい」(1960)。
原題はPlein Soleilってんですが、pleinて、英語だとfull。
そこをふくらませて、「太陽がいっぱい」としたのでしょう。実にぴったりきている。というより、ああでなきゃ人のイマジネーションに訴えるタイトルじゃない。
原題でいいじゃないかって言い出す人が必ずいるんだけど、意味わかんないから。きちんと日本語にしてやるべきだというのが僕の考えです。
例えばT.Rexの、お陰様でよく売れましたが「電気の武者」っていう曲ね。原題は、エレクトリック・ウォリアー(Electric Warrior)です。
なんだ、直訳じゃないか、っていうけど、ウォリアーはいろいろに訳せる。武士、とか、侍、とか。
電気ノ武者、としてこそ伝わるポエジーが、そこにはある。サウンドの妙味も。T.Rexのイメージと合うんですよ。
浜野 そういうのは、1人で決めるのですか。
石坂 もちろん。そこが、レコード会社のいいとこ。
合議制でなんか、いい題名が決まるわけない。あとまあ、少なからず、国語・日本語に興味がないと。そういうの、全員に求められますか。
浜野 映画でも、失敗すると、題名のせいにしたりされるんだけど、そんなことは。
石坂 ああ。陰では言ってたんじゃないかな、いろんなこと。