2024年4月27日(土)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月13日

 ただ洋楽って、ちょっと不可侵領域で。

 やっぱり英語が好きか、なんとかかとかできるって人が多い。

 また、僕なんかのように、イギリスが好きっていうのと、アメリカが好きっていうのと、外務省のチャイナ・スクールとか、ラシアン・スクールとかいわれるのに似た流派があったりね。

 半面、レコード会社のほとんどは英語が苦手な人たちだから、もちろんビルボードにも目を通さないし、そういう人にとっちゃ、洋楽村は、ちょっと避けとこうか、みたいなね。

リアリスト・サラリーマンになった

浜野 その話が出たところで伺いますが、洋楽で出発したレコード会社務めで、石坂さんはビートルズを手掛けたり、ピンク・フロイドを広めたり、それこそ洋楽の黄金時代に携わられた。ところがある時期、邦楽に移られたのはどういういきさつで? 自覚的なものだったんですか。

石坂 あれは自覚的でした。わたしの用語では「本籍・洋楽、現住所・邦楽」で行こう、と。

 なんでかって言いますと、エンタテインメント・ビジネス一般に言えることですが、音楽ビジネスの場合は、いまも言ったみたいに個人の発想がすべて。合議で決めるもんじゃないってことです。

 でもそれが事業として成就しないと始まらない。売れてナンボってことです。それで初めて、自分の鑑識眼で、これはいけると思ったものを押し出していける。

 つまり力、パワーを持たないといけない。レコード会社における本道は邦楽だから、このメインストリームで力をつけないとだめだろう、って考えですね。

浜野 そこ、なんですよね、石坂さんのもう1つの面は。

 力がなきゃ、パワーがなきゃ、つくりたいものがつくれないんだって仰った。つまりカッコいい洋楽マンは、企業社会のリアリストに徹してもいたわけです。

 いま、社長になり、会長にまで上り詰められて、サラリーマンとしてパワーを手にされたわけですが、確信はあったんですか。いずれこうなるぞという。

石坂 いやあぁ、確信はないですよ。ともかく初志貫徹、自分に「刷り込み」をして、頑張る、と。おれは行くんだ、って。

 サラリーマンである限り、評価してくれる人がいて、ほんとに頑張れば上へ行けますよ。
ただその評価が、「きっと誰かが見ていてくれる」の、淡い願望じゃだめなんだね。

 そんなこと期待しちゃだめで、現実に売り上げですよ。売り上げと、利益。これを上げないと。

 それさえ上げてたら、わたしを評価しない上司にも、有無を言わさず認めさせることができる。だから、「人間性」だとか、「礼儀正しい」とか、そういう路線で行く(笑)のは、よくそれで行こうとするヤツがいるけど、無理。

 サラリーマンになって、もし上昇志向がほんとにないなら、上昇志向持ってるのに陽が当たってない人がたくさんいるんだから、道を譲るべきですよ。

 「オレ、偉くなんてなりたくねえよ」って言う人、たくさんいる。だいたい55歳ぐらいになるとみんな言うじゃない(笑)。「あんた、頼まれてないじゃんか」て突っ込みたくなるけど。

(構成・谷口智彦)

石坂 敬一(いしざか・けいいち)
ユニバーサル ミュージック合同会社会長。
慶應義塾大学卒業後に入社した東芝音楽工業株式会社で、ビートルズやピンク・フロイド等、洋楽アーティストの担当ディレクターとなる。英語の原題を大胆な 日本語訳にアレンジしたり、音楽批評家と連携してリスナーに音楽の理論的土壌を提供したりと、日本の音楽シーンを改革しヒットに結びつけ、70~80年代 にかけて洋楽ブームを巻き起こした。
邦楽アーティストとの親交も知られており、RCサクセションを率いた忌野清志郎をはじめ自社に移籍させたBOØWYや矢沢永吉、松任谷由実など、人脈は幅広い。
2007年からは日本レコード協会会長も務め、若年層等に対する著作権教育と著作権意識の啓発に貢献、2009年には藍綬褒章を受章した。


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