そう話す佐藤さんは元ラガーマンの36歳。大学を卒業後、大手アパレル会社に入社して大分で5年勤めた後、家業を継いだ。しかしトラックのシートや幌(ほろ)、店舗や住宅用テントの製造だけでは、祖父の代から続く会社を継続していくには厳しい時代であった。そこで平成23年(2011)、アパレル会社勤務時代の経験を生かして、テントに使う工業用帆布でバッグの製造販売を始める。
「最初は親からも職人さんたちからも反対されました。新規事業を立ち上げるには資金も必要だし、せっかく育てたテント職人にバッグを作らせるなんてと。でも実はアパレル会社に勤めていた頃からスーツや鞄のオーダーメイドにずっと興味を持っていたんです」
今では帆布バッグの評判がSNSや雑誌などでも取り上げられて、佐藤防水店という会社名は全国区で知られるようになり、本業のテントの製造依頼も増えているのだそうだ。
ここでしか縫えない2号帆布
佐藤社長が「弊社の帆布バッグについて聞くなら僕よりも彼がいいです」と、帆布バッグ職人の野田啓司(けいじ)さんを紹介してくれた。
野田さんの仕事場は、大分川が近くを流れる大洲総合運動公園のすぐそばにある「SE〈ソウ〉」というお洒落なライフスタイルショップ。実はこの建物、佐藤防水店の帆布部門の工場なのだが、2階に併設した工房とお店で帆布バッグを製造販売している。
ミシンがけの手を休めて応対してくれた野田さんは、職人さんと言っても年齢は佐藤社長と3つ違いで格好も今どきの若者風だ。
帆布バッグの事業を始めようとした当時、社内でも一番若いテント職人の野田さんは、同世代の佐藤社長にとって唯一の理解者であり良き相談相手であった。相談を受けた野田さんは社長と意気投合、製品を作る側として一緒に帆布バッグブランドの立ち上げに参加する。今では良きビジネスパートナーである。