2024年12月6日(金)

したたか者の流儀

2018年2月3日

 パリのカルチェ・ラタンには偉人のお墓がある。パンテオンというが、並大抵の偉業では入れない。日本人にも名前が通っている人をあげれば、マリ・キュリー、その夫、ヴィクトル・ユーゴー、ジャン・ジャック・ルソー、アレクサンドル・デユマ父、ヴォルテール、アンリ・ベルグソンなどなどだ。

(Panptys/iStock)

 悲しいことに日本に来たことのある偉人はいないと思ったら間違いとなる。

 ドゴール大統領時代に長く文化大臣をやった冒険家で、軍人でもあり、泥棒でもあり、小説家でもあるアンドレ・マルローがここに眠っているのだ。日本美の発見者の一人だ。

 波乱万丈の人生だったアンドレ・マルローはフランス人なので、日本での知名度はそこそこだが、いわばフランスのヘミングウェーといえる。日本でも相当数の翻訳がでていて知る人ぞ知る小説家でもある。風貌はジャ・コクトーのように知的だが、ヘンミングウェー同様大学教育は受けていない。

 一応、パリ東洋語学校にいっているが卒業証書はもらっていないとある。インテリ気取りの美男子で金持ちの女性を娶り、その資金でアジアを放浪。その後操縦士としてスペイン内戦で戦い、戦車隊員でドイツ軍とも戦っている。対独レジスタンスの司令官の一人としてフランス解放に貢献。その過程でドゴール将軍と知己をえていた。アジア放浪の破天荒な体験を文章にした作品で早くから名を馳せていた。

 戦闘機操縦士や戦車隊、レジスタンスだけでもしびれてしまうが、カンボジアで国宝級の泥棒で逮捕された経験まである。

 自ら「人間はだれでも狂人だ。人の運命というものは、この狂人と宇宙とを結びつけようとする努力の生活でなければ何の価値があろう」などといっている。いわば、狂気と直感の人だ。

 フランスでインテリと話すと、必ずモン・コウヤとクマノコドということばが出てくる。高野山と熊野古道のことだ。詳しい人からは那智の滝も話に出てくる。高野山の宿坊に泊まった時、何か書いてあるので、読んで見ると駐日フランス大使定宿のお部屋のようだ。

 フランスからアジアの国に大使として着任すれば、ほぼすべてアンドレ・マルローの作品は読んでいるのだろう。

 フランス人のお陰で、紀伊半島を再認識しているというよりも、アンドレ・マルローの熊野談義で我らも日本を発見しつつあるということになるのかもしれない。アンドレ・マルローのアジアに対する認識や経験は深くて長い。そんな彼のお墨付きがあればこそ、紀伊半島の世界遺産登録は自明であったのだ。

 最近では日本国内で、あちこち自薦で世界遺産認定を得ようとする動きがある。その一方で、誰も鼻も引っかけないような場所が、訪日客の人気の的になっているものもある。

 また、ガイドブックのミシュランは日本料理や寿司、麺類にいたるまで星をつけていて、その後に日本人がありがたがる構図が出来ている。

 フランスやベルギー駐在時代、それって有名なんですか、というのが日本から訪問者の常套句であったことを思い出してしまった。欧州の有名アイテムに関しては、一旦置くとしよう。しかし、日本の文物にまで、諸外国の尺度でランクをつけられ、それを一番ありがたがるのが日本人だとなると、ちょいと気になる。


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