スピルバーグ監督のもとメリル・ストリープとトム・ハンクスが共演する映画 『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』は、レバノンの首都ベイルートで日本に先駆けて早々封切られる予定だった。ところが検閲当局の意向で上映禁止になる模様だ。以前は彼の映画は問題なく上映されたのに!
毒物に敏感なカナリアは泣きやむことで炭鉱のガス漏れを炭鉱員に知らせた。レバノンは逆に鳴き始めることで、中東情勢の急変を告げる。
平和の配当
一昨年、私はレバノンを旅するか、それとも南仏でのんびりするか、ずっと迷っていた。
パリのシャルル・ド・ゴール空港に着いて荷物をカートに乗せ外へ出ようとすると、自動ドアが開かない。マシンガンを持つ治安警官が目を血走らせて「あっちへ行け!」と命じて来る。空港で乗客の荷物が一つ行方不明となっているのだという。1日に16万人も乗り降りする国際空港ならば、荷物のひとつぐらい紛失することはよくあるだろう。だが空港は一時閉鎖された。
羹に懲りて膾を吹く
4カ月前、ベルギーのブリュッセル空港で爆破テロがあった。しかも、あとで知ったが私が飛行機で大西洋を越えている間に、南仏ニースでトラックによるテロがあったのである(2016年7月14日)。
よしレバノンに行こう!
5日後、パリからエールフランスとの共同運航便ミドル・イースト航空でベイルートへ飛んだ。機内は、アラブ系の人間で満席だ。隣の席はアメリカの市民権を持つイスラム教徒のシリア人5人家族で、子どもは中学生2人と小学生1人。ダマスカスの親戚の家へ久しぶりの里帰り。ベイルートからは陸路ダマスカスへと向かう予定だという。
ベイルート市内の繁華街に宿をとった。さっそく街中を歩きまわるが、東京にいるのとさほど変わらない。パリほど治安警官の姿は目立たない。
商店でショッピングを楽しみ、寿司屋で生魚を食べ、海辺で泳ぎ、博物館でローマやイスラム国家群の歴史を学び、緑いっぱいのアメリカン大学のキャンパスを散歩し、喫茶店で水煙草に耽り、そして、モスクの中で隣の教会の鐘の音を聞く。
休日にはホテルの前の通りが歩行者天国となった。夥しい数の露天が出店している。夜になると人々は焼き鳥を食べ、ワインやビールを飲む。路上でバンドがロックやブラジル音楽を演奏し、人々は踊り狂う。まるでブラジルだ。さもありなん。ブラジルには600万人前後のレバノン系移民が住む。文化的影響が強い。
歩行者天国に飽きて、別の通りの横丁まで出ると、カラオケバーがある。水煙草を吸う若い男女のグループやカウンターの中年男が交互に美声を聞かせてくれる。夜が更けてきたので、そこを出て小さなカウンターバーに入ると、ニューヨーク帰りの若いレバノン人がブルックリン訛りの英語で話しかけてくる。
日本赤軍の拠点ベッカー高原でワインを試飲する
ベイルートの街は狭く、2、3日で飽きてしまう。そこでガイド付きのツアー会社のマイクロバスで郊外観光に出た。以下のような見所が多く、どこもかしこも地元や周辺国の観光客でごったがえしていた。
ベイルート近郊、北部
- ビブロス(Byblos)フェニキア人最古の都市国家遺跡。バイブルの名の由来。世界遺産。
- ハリッサ(Harrisa) レバノンのリオデジャネイロ、キリスト教徒巡礼地。山頂にマリア像、眼下に地中海と白い街並みを望む。
- ジェイタ(Jeita) 巨大鍾乳洞、地底湖をボートに乗って進める。
ベッカー高原
- アンジャ(Anjar) イスラムウマイヤ朝の遺跡。最初のカリフ世襲制度による王朝。イスラム国はこの時代に回帰しようとしていた。世界遺産。
- クサラ(Ksara)ワイナリー、試飲できる。シャトー・クサラとして日本でも販売。
- バールベック(Baalbeck)ローマの超巨大神殿。世界遺産。
ツアーの参加者は、サウジアラビアのジェッダで働くドイツ人生物学者とヨルダン人会計士のカップル、エジプト人夫婦、ロンドン在住のフランス系イラン女性、パレスチナ出身でヨルダン国籍の夫婦、友人がレバノンに留学しているトリノに住むイタリア娘。例外を除いて、めったに欧米人や日本人の旅行者とは会わない。
通常、メディアは事件、内戦、テロを伝える。ニュースがないのは平穏無事ということだ。けれども、隣国シリアは内戦中だし、昔からのレバノンの負のイメージを拭い去るのは難しい。だから人は足を踏み入れない。
もちろん、シリア内戦の影響がないとは言えない。過激派が潜み、武器密売市場があるというレバノン第二の都市トリポリは、まだ治安が安定していないとして、ツアーコースには入っていない。だが、昔と比べると様変わりであろう。
ベッカー高原は、1970年代~80年代に日本赤軍が拠点としていた。また1982年には、シリア軍VSイスラエル軍の激しい空中戦が行われ、シリアの旧ソ連戦闘機はばたばたと落とされた。が、今はアラブの石油成金たちの避暑地だった。「ここは酒も女も時に麻薬もなんでもありさ」とあるレバノン人はいう。
バールベックでも、2002年にレバノンの治安部隊とパレスチナ難民の民兵が銃撃戦を繰り広げたことがある。今は兵士たちがにこやかにいっしょに写真を撮ってくれる。
拍子抜けするほど、安全だった。レバノンには平和の配当がある。
レバノン人とシリア人の微妙な関係
ホテルのレストランの若いボーイの1人はシリア人で、ダマスカスの大学で心理学を学んでいるうちに内戦になり、ベイルートに移り住んだという。
「ぼくは中国とか日本とかアジアが好きだよ。アニメが好きだし、夢は日本に行くことだけど、シリア人には厳しい。入国ができない国が多いよ。内戦の理由? シリアは地政学上の要所だから、いろんな国が、たとえば大国のアメリカやロシアが取りたいんだよ。少し前までシリアは本当に平和だった。ほら、ベイルートでは教会とモスクが隣り合って共存している。シリアもそうだった。宗教なんて問題にならず、みんな平穏に暮らしていたんだ。でも今の大統領は方針を変えて、他の宗教に厳しく接し始めたし、将来をよく考えていない。シリアはとても富んだ国なのに」
彼は反政府側の拠点であるイドリブ県の出身で、「我々は根性があるから決して負けない」というのだった。その後、シリア政府はアレッポの反体制派をイドリブに集めようとし、アメリカ政府はイドリブにシリアはサリンミサイルを打ち込んだと主張することになる。
私はもう少し突っ込んだ話を聞きたくなって、「ぼくは著述業なんだけど、もう少し話を聞きたいな。仕事は何時まで?」ともちかけてみると、彼はとたんに顔色を変え背後の同僚たちを密かに確認し、ぼそぼそと聞きとれない小声で話し始めた。
「仕事は8時までだけど、話はちょっと。ベイルートではなかなか話せない。シリア人の扱いは悪いし」
さらに、ベイルートに住むシリア人女性(私の友人の姉)に会う予定で、彼女と携帯で何度もやりとりをして、家で会う約束をしたが、ぎりぎりになって、「急病になった、ごめん」と断られた。
そこで、懇意になったタクシー運転手のHにレバノン人のシリア人の感情についてきいてみた。彼はレバノン内戦(1975~90年)たけなわの時にはカタールに避難している。
「レバノン人はシリア人を好きじゃないさ。自由もここほどないとか、もうひとつださいとか。それにレバノンが彼らに占領されているとき、シリア軍は検問とかであれこれ五月蠅さかった。だからいい感情はないよ」
長い内戦終了後、レバノンはシリアに軍事占領されていた(1990~2005年)。その前後レバノン政府はシリアに操られていたといっていい。さらに、シリア人はずっと以前から出稼ぎに来ていたし、現在はシリア難民が100万人前後いる。パレスチナ難民も30万人はいるのだから、人口450万人のレバノン人からしてみれば、彼らには自国に戻ってもらいたいのが本音であろう。たとえば、外国人は誰でも土地を取得できるが、パレスチナ人だけは購入が難しいという。
世界中、隣国同士には、法律や論理では割り切れない微妙な感情がある。