WEDGE REPORT

2018年2月3日

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風樹茂 (かざき・しげる)

作家、国際コンサルタント

作家、国際コンサルタント(kazakishigeru@gmail.com)。1956年、北海道生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。メキシコ留学後、中南米の専門商社を経て、南米アマゾンの奥地でODAプロジェクトの鉄道建設にかかわる。その後は、シンクタンク、研究所勤務などで、首相向けの政策提言、ODA援助、海外投資、NGOプロジェクトに従事。イスラム開発銀行のコンサルタントも経験し、30数カ国を踏査。石油関連事業でカタール、ベネズエラに駐在。

平和のモニュメントは汚されてしまった

 私はシリア大使に会見するためにシリア大使館を2度訪れた(参考『シリア内戦は21世紀最悪の石油戦争だった』)。市内にあったシリア大使館は内戦後、ベイルート市内から車で30分ほどの距離にあるBaabdaに移って、レバノンの防衛庁も位置する区域でマシンガンを持つレバノン兵らによって厳重に警備されていた。

 パスポートの更新やビザの取得目的の人々で、ごったがえしている大使館を出て少し歩くと、人をぎょっとさせる建物に出会う。私はイスラエル空軍による機銃掃射かミサイル攻撃を受けたのだ、とかってに推測した。その建物はハチの巣のように穴だらけで、夥しい高射砲の砲筒がにょきにゅきと空に向かっていた。だが側面から見ると、戦車や装甲車が破壊された建物の中に埋め込まれている。

 一体どういうことだろうか?

 いずれにしろ絶好の被写体。バックからデジカメを取り出し、シャッターをばちばと切った。すると、10代後半ぐらいの若い兵士が小走りにやってきて、

 「何を撮っているんだ!」

 私が住んでいたベネズエラならば賄賂で済むところだが、ここはそうはいきそうもない。結局、中年の上司に告げ口されて、写真を消去するはめになった。

 同行してもらった前述の運転手Hに聞くと、「あれは内戦終結を記念する彫刻だよ。フランス人の芸術家が作ったんだ。前は写真をとるのは自由だったけど、シリア内戦で軍隊もピリピリしているのさ」

 後日それはフランスの彫刻家アルマン・フェルナンデスの『平和への希望』と題する83台の戦車や装甲車を積み重ねた彫刻だとわかった。平和のモニュメントの前で私にマシンガンをつきつけてきた兵士は、作者が多分抱いていた崇高な希望を、人を殺すための兵器で汚してしまったのだ。

 私は幾分白けた気分で、シリア大使館のあるBaabdaからベッカー高原を越え、ダマスカス街道を進み、シリア国境まで足を伸ばしてみた。途中、パレスチナ難民地区(普通の家に住んだり、商店を構えている)や、あちらこちらにシリア難民のテントが現れた。さらに戦車の写真をあしらった24/24/10452の看板が目立つようになる。意味は、

―レバノン軍は24時間、レバノン全土(1万452平方メートル )で防衛のために働いています

 けれどもレバノン人は知っている。国境を一時占領していたISを蹴散らしたのは、むしろ南ベイルートを支配する、政治・軍事組織ヒズボラであることを。

 かつてレバノンではヒズボラがいるおかげでイスラエルに攻撃されるとの不安が大きかったが、今となっては、ヒズボラの軍事力がイスラエルを含む外敵の攻撃を抑止している。2006年にイスラエルはレバノンに侵攻しヒズボラを殲滅しようとしたが、彼らの軍事力の前にその意図は打ち砕かれている。

 結局、日本の戦国時代を思わせる中東のような地域で「平和への希望」の巨大彫刻が語っているのは、多分作者の意図とは大きく違う。すなわち、

 強大な軍事力がなければ平和も国境も国の尊厳も守ることはできない

数字にはこんな意味が

私も空港で膾を吹く

 国境を訪れた翌日、私はパリへと戻ることにした。帰国時のタクシー運転手のフロントガラスには銃弾のあとがあった。「北の国境でISに撃たれて、こめかみをかすった」という。

 空港は着いたときと同じでごったがえしていた。パスポートコントロールの前には長蛇の列。私の目の前には誰のものかわからない白いボストンバックがしばらく放置されていた。そのバックは心の中でしだいに大きくなり、不安が増幅する。

 レバノンでは、1989年にルネ・ムワアド大統領、2002年にキリスト教系の民兵レバノン軍団を率いたエリー・ホベイカ氏、2005年にサウジアラビアの王室の資金で財をなした現首相の父親ラフィーク・ハリーリー首相らが爆弾テロで暗殺されている。そもそもこのベイルート国際空港は、殺された首相の名前をとって、ラフィーク・ハリーリー国際空港と改名されている。実行犯はあれこれとりざたされるだけで、いまだはっきりしない。80年代初頭の内戦下では米国大使館や米国海兵隊本部が爆弾テロに遭い、総計300人以上が犠牲になっている。

 そんなことを回想しているうちに、「このバックは誰のものだ!」と叫びたい衝動が抑えがたくなる。パリシャルル・ド・ゴール空港の管理者や治安警官と同様に、私は、羹に懲りて膾を吹いたわけだ。

カナリアは何を語るか

 幸い私は無事日本に帰国し、1年半が経過した。昨年11月にこの日本でもレバノンのニュースが報じられた。サウジアラビアのムハンマド皇太子がレバノンの首相サード・ハリーリーを呼びつけ、暗殺計画があるとの理由で辞職させようとした、という。その後、トランプ大統領のエルサレム首都認定もあって、レバノンでもアメリカ大使館目指して抗議運動が起こるなど、何やら国内が騒々しくなり始めた。

 この1月16日には、レバノンのベッリ国会議長テヘランで行われている第13回OICイスラム協力機構議会連盟の会合で「イスラム諸国は大使館をエルサレムに移し、イスラエルの商品をボイコットすべき」と訴えている(新華社1月16日)。またスピルバーグ監督の映画が禁止されるのは、アラブ連盟のブラックリストに載っているからだと推測されている。同監督は2006年のレバノンで繰り広げられたイスラエルVSヒズボラの戦いで、イスラエルへ巨額の寄付をしたとされる(The Washington Post 1月15日)。

 こうして、サウジアラビアとアメリカの姿勢は、むしろヒズボラに力を与え、レバノンのイランよりの姿勢を強めている。中東のカナリアは今後何を語るのか? レバノンの平和が、「次の戦争の準備」でないことを祈る。

  
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