今だったらそれでもオッケーと思いますけど、あのころそんなこと言うやつが来たら、僕だって「それじゃ君さあ、トリュフォーとかゴダールとか見たことあんの」って、突っ込み入れたくなったと思いますし。「ほぉ、じゃゴダールの何が好き?」とか。事実先輩にそんなこと聞かれましたしね。
でも、今にして思うと、ルーカスやスピルバーグは、映画の中身だけじゃなくてサウンドづくりも独自なものでしたし、関連グッズもいっぱい出したりして。まさしく世界的現象を作り出すことに成功した。
僕は、彼らのそういうところにすごいなと思ってたんだと。なぜって、あの頃から僕自身いいカモでしたからね、彼らの。ビデオになればビデオを買い、レーザーディスクになったらそれを買い、今度DVDだってまたまた買い、ってふうに。
そんな仕事をやってのけた彼らの足跡を、自分も辿ってみたかったのかもしれない。やっぱり監督じゃないんだ、僕は。
インディペンデント「新鋭デビュー」に憧れながら、
地道にプロで研鑽
浜野 学生時代に撮ろうとは思わなかった?
亀山 撮ってる人、いたんですよ。
あのころは日芸(日本大学芸術学部)が元気だったんですね。石井聰亙さんとか。
彼が大学入ってすぐ撮った8mm映画の「高校大パニック」が東映に認められて監督抜擢でね。かと思ったら「京都のアマチュア映画すごいらしいぜ」って聞いてるうちに大森一樹さんが「オレンジロード急行」(1978年)でメジャー・デビュー、っていう。
UCLAからジョージ・ルーカスが出たのとちょっと似た現象。そしてバックを角川さんが支えていたりした、そんなころですよ。
ピンク映画撮ってた森田芳光さんが世に出た時期だし。
あの頃早稲田の学生で、石井めぐみさん(http://www.megumiishii.com/)がいて、彼女のこと自主制作で撮ってるグループもいましたよ。映画撮ってる連中、たくさんいましたね。
でも僕は、五所さんとかプロのところに最初っから入り込んで、書生やりながら現場でやってる。彼らは「お前、自分の撮りたいものないのかよ」って聞いてくるわけです。
そしたら「あるけど、オレやろうとしてるのカネかかるからさあ」なんて答えたりして、ね。「先にメジャー入って、それで足がかりつくるのよ」とか言ってましたね。だけど彼らには、たとえ8mmでも、「オレもう監督作品あるぜ」って顔される。
「けどオレ、悪いけど全国の劇場で、少なくとも100館くらいで、制作進行・亀山千広って名前、何秒間かかかるぜ」みたいなこと言い合ったりして。
言いつつ、「くっそー、オレも監督作品欲しいぞ。20代のうちにはデビューだ」って、なんでかわからないけどあの頃は「20代のうちに」と思っていたり。「若手監督」と呼ばれたかったのかな。「新鋭デビュー」とかね。