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2011年3月8日

 後述するが、岩野には動物園のあり方について並々ならぬ情熱がある。閉園で情熱を具現化する機会を失い、自分の意見を新計画の参考にしてもらうことすらできず、糸の切れた凧のような気持ちで残務処理をこなしていた。

写真:田渕睦深

 新しい動物園(到津の森公園)の形や、ボランティアやサポーターなど市民の力を借りる枠組みが決まり、改装工事もあらかた進み、2002年春の開園まで半年を残すばかりになった時、市から岩野に園長就任の打診があった。「園長にするなら、なんで意見を聞いてくれなかったのか」と岩野は思ったし、岩野の30年来の盟友で、北海道の旭山動物園を再建した立役者の小菅正夫園長(当時)は顛末を聞いて「あまりに失礼だ」と激怒したという。動物の選定はもちろん、飼育スペースなどのハードはすべて決められ、後は管理するだけだと言わんばかり、そんな園長はお飾りだということだろう。

 葛藤を抱えながらも、岩野は打診を受けた。ハードはできてしまっている、市の外郭団体職員となるために人事権や予算執行権の制約が大きいなど、いかんともしがたい所与の条件がある。それでも情熱はくすぶり、何かできることがあると考えた。

 「動物の形じゃなくて命が見える展示がしたい。この思いは小菅と一致していて、あいつは(その手法が)行動展示で、僕は例えば、社会性がある動物はそのように飼いたい。ゾウは人間と同じで社会性が高い。今(到津には)2頭いるけれど、この飼い方ではダメです。最低でも5~6頭の群れで飼うことで、親が子を育て、子が遊びを覚えるのが見えるし、死ぬゾウもいれば、次の世代も生まれる。このサイクルを保たなければいけないのであって、死んだら他所から買ってこようという考え方なら、やめたほうがいい」

 「今まで日本人が動物園で見てきたのは、動物がどう生きたかではなく、どんな形をしているかだけだった。人間を見る時だって、集落として見れば、大人たちに育てられたり、子どもどうしで遊んだりする姿をかわいく思えるのに、今は一人ずつを見て『かわいくない』と言ってしまう。全体で見れば、子どもは絶対にかわいいのに。ゾウの親子はかわいい、君たちもそうだよと伝えられないなら、動物園は必要ない」

 つまり、ゾウを群れで飼う施設をつくっていればよかったのだが、到津の森公園は、そうなっていない。言うだけでは愚痴になる。

 「ないものねだりをしても始まらない。大事なのは飼育係の精神性、つまりソフトです。ハードからハートをとれば濁点が2つ残るだけ。ハードの中に自分たちの思いがなければダメなんです。今の施設だって、飼育係が個と全体の関わりあいを説明できる。『2頭しかいない象は、ここに来て犠牲になって死んでいくだけだと伝えなさい』と言っています」

 ソフト面で他にも例をあげると、飼育係がシマウマのお尻の模様を絵に描いて来園者に示していたが、見る方はそれをきっかけにして同じ模様の個体を探そうとするし、そんなことでも動物との対話ができるのだと、岩野は言う。「みんな、だんだん上手になってきた」と話すように、飼育係のコミュニケーション力を上げることが到津の森公園の独自性になり、すなわち存在する必要性が認められるようになるはずだと、岩野は考えている。


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