極東や北方領土も支援
支援の輪は日本に近い極東や北方領土でも広がった。
極東では、14日にソ連時代にアフガニスタン戦争に従軍したロシア・アフガニスタン退役軍人同盟のウラジーミル・オスタピュク沿海地方支部長が、被災者の緊急避難先として、沿海地方の退役軍人ら58世帯(1世帯当たり2~4人を受け入れ可としている)が受け入れの用意があると発表した。また、ウラジオストク、ハバロフスク、ユジノサハリンスクの3ヶ所の日本総領事館に哀悼の手紙や花が多数届けられ、赤十字社にも義援金についての問い合わせが殺到した。17日には、ロシア極東連邦管区のイシャエフ大統領全権代表が管内の9地区の知事らに対して企業や市民の支援の取りまとめを行うよう呼び掛けた。
また、択捉島の島民が1994年の北海道東方沖地震で日本から厚い支援を受けたことの返礼に「日本で救援活動を行えれば一番だが、せめて送金したい」と振込先などについてロシア外務省に相談し、同省サハリン州代表部が日本総領事館に連絡するよう伝えたという。14日には北方領土を管轄するサハリン州の南クリール地区当局者は義援金を集めると発表し、翌15日から実施されている。
北方領土問題をめぐる状況が好転?
ここにきて、北方領土問題に好転が見られている。2月28日の拙稿(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1251)で述べたように、メドヴェージェフ大統領の国後島訪問以降、緊張が続いていた日ロ関係は、2月に菅首相がそれを「許し難い暴挙」と非難したことで決定的に悪化した。
しかし、与党「統一ロシア」の青年組織「若き親衛隊」は震災を受け、13日に、15日から予定していた北方領土訪問と現地での示威行動(美人スパイとして有名になったアンナ・チャップマンさんも同行とされていた)をすべて中止すると発表した。
14日には松本外相とラブロフ外相がパリで会談し、北方領土問題について「静かな雰囲気で話し合っていくことが重要」ということで一致した。ラブロフ外相は、日本が前原前外相の路線を継承するのであれば楽観的になれると述べたという。
また、今年で20年目を迎えるビザなし交流は日ロ関係の悪化により存続が危ぶまれていたが、17日に日ロ代表者間協議が札幌で開催され、2011年度は日本側の訪問は昨年度より1回少ないとはいえ9回実施されることが決定した(ロシア側からは昨年と同じ7回で北海道、福井、群馬両県を訪問予定)。数は減ったが、その理由は政府の北方領土対策関連予算が減額されたためだと言われているし、ビザなし交流が継続されたことは大きな意義があろう。ただし、ロシア側はこのような形での交流の継続は建設的ではなく、日本企業が北方両島で経済活動を行えるようにすることを求めた。
そして18日にはロシア大衆紙「モスコフスキー・コムソモーレツ」に衝撃的なコラムが掲載された。コラムを書いたのは、ロシアジャーナリスト連盟の「黄金のペン」賞を受賞したこともある著名なユリヤ・カリーニナ政治評論員で、日本の返還要求の主張は認めず、返還にはずっと反対だったが、震災で深い悲しみを背負っている日本の悲しみを和らげ、日本への同情を示すために北方領土を即時に無条件で渡すべきだと主張したのである。原発事故で居住できない地域が増えることから、日本の小さい領土がさらに小さくなるとして、「ロシアにとってはたった0.035%程度にあたる小さな国土を慈善目的で日本に寄付してもよいのではないか。日本の破壊的な被害にしてみれば、ロシアの国益など小さなことで、それほど惜しくないはずだ」と述べたのである。さらに、同氏は、ロシアが北方領土を引き渡せば、ロシアは利益の奪い合いではない新時代の外交をアピールできるという利点も述べているのである。