2024年12月7日(土)

Wedge REPORT

2011年6月13日

集団移転をまちづくりの機会として模索
本吉町小泉地区

 同市の本吉町小泉地区も舞根地区と同様、「防災集団移転促進事業」を想定した集団移転を模索している。6月5日には「小泉地区集団移転協議会」を設立、被災世帯308のうち、118世帯が加盟した。

 協議会の事務局を務める小野寺正則さんは小泉地区の出身。現在は、南三陸町で建設会社の役員を務めており、小泉には住んでいない。だが、生まれ育った町の惨状を目にして、何かできないかと思った。小泉には用水に沿って長屋のように家屋が並び、日用品の貸し借りをするような、昔ながらの付き合いがあった。

 もどかしく思っていたとき、たまたま「自分がやらなければ、やる人がいないから」といいながら、友人が近所のおばあさんの家の泥かきをしているのを見た。地域を建て直すのは、一人ひとりの行動力しかない。自分がやろう、と思った。

 地域を担う40~50代の有志15人で集まり、協議会の前身となる「小泉の明日を考える会」を結成、話し合いを重ねてきた。活動はすべて自費。メンバーは仕事の合間を縫って資料やアンケートを作り、住民の意向をヒアリングしてきた。

 小野寺さんは、移転後の地域の持続性も視野に入れる。もともと小泉地区には主たる産業がなく、半農サラリーマンとして地区外に働きに出る人も多い。住居を安全な場所に移転させるだけではいずれ過疎化し、地域としての将来がなくなるのではないか。集団移転を機に、新たなまちづくりができないかと考えるようになった。

 専門家の知見が必要だと考え、知人を通じて自然エネルギー研究を専門とする野澤壽一・東北工業大学准教授に協力を依頼。田地〔とうじ〕和幸・東北大学大学院環境科学研究科長や、北海道・奥尻島の集団移転にかかわった建築管理士もアドバイザーとして協議会に関わることになった。被災した土地には市の瓦礫二次処分場が建設される計画がある。ここから出る熱エネルギーを利用して発電ができないか。日照時間の長い三陸沿岸の特性を生かして、太陽光などの自然エネルギーを利用できるようにし、地区を復興のシンボルにできないか。さまざまなアイディアが出ている。

 小野寺さんは、「協議会ができて、やっとゼロ地点にきた」と話す。行政の指示を待つばかりでなく、専門家と協議を進めながら、集団移転をまちづくりの機会にしたいと考えている。

課題は財源
合意が揺らがぬうちの着手を

 自然災害や限界集落の過疎化から集落移転する際の重要なポイントは、移転する住民自身の合意形成だと言われる。

 かつて、中越地震の際に集団移転事業に関わった澤田雅浩・長岡造形大学准教授は、「地域復興は、効率重視の事業計画で進めるのではなく、住民自身が自分たちの暮らしの10年後、20年後をよく考え、納得した上ですすめるのが望ましい」と話す。

 行政都合や外部の力で進められた移転には、後で否定的評価が伴う。自分たちが住み続ける地域を、どのようにつくっていきたいのか、住民自身で考えることが 円滑な移転と地域の将来性を考える上での第一歩だ。

 集団移転事業への着手は、財源確保の目途が立たず遅れている。11日の東日本大震災復興構想会議。宮城県の村井嘉浩知事は、高台移転については、59地区772ヘクタール、1万3900戸に4,250億円が必要との試算を公表。国の支援を求めた。気仙沼市都市計画課も、「住民の安全を守る高台移転の重要性では見解が一致するものの、舞根地区や小泉地区のほかにも移転に関心を示している地区がある。用地としては山間部の造成が必要になる。現行の補助の範囲でまかなうことは難しい」とし、対応を決めかねている。

 だが着手が遅れれば、一度はまとまった気持が揺らぐ可能性もある。実際、被災当初は行われていた集団移転のための協議が、避難先がばらばらになるうちに頓挫した地区も出てきた。

 移転事業の青写真をいかに実現するか、政府には早い決断が求められる。

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