2024年12月22日(日)

孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代

2024年10月1日

 「ひきこもりの生活を誰が保障するのか」という問いかけからはじめたい。より具体的に言えば、「親亡き後に残された50代のひきこもりの人々が(金銭面の支援も含めて)生きていくための生活保障の責任は誰にあるのか」「誰が、ひきこもりの人々の生存を保障する存在になるのか」という問いである。

 答えとして想定されるのは、兄弟姉妹などの親族か、それとも行政かということになるだろう。ひきこもりを支援するNPOの存在を思い浮かべる方もいるかもしれない。

 現在の孤独・孤立対策では、どうにもこの点がはっきりしない。結果として、ひきこもりの本人も、その家族も、将来に対する不安を抱えた日々を送ることになる。

(JESSICA PETERSON/GETTY IMAGES)

 みなさんがイメージしやすいようにある事例を紹介しよう。とある場所に、20年近くひきこもり生活を続けた男性がいる。暴力を伴ういじめをきっかけに人間不信に陥り、不登校となった。そのまま社会との接点をもつことなく、両親との同居を続けた。

 やがて年老いた両親は亡くなる。彼は親の葬式に出ることもなく、自室で姪の入浴を盗撮した映像をみて自慰にふけっていた。激高した兄弟から袋叩きにされ、着の身着のままで路上に放り出される。

 メディアミックス展開で気炎を吐く『無職転生~異世界行ったら本気だす~』(KADOKAWA)の冒頭エピソードである。KADOKAWAが発表した自社の2024年3月期通期決算の売上高では、出版部門で1位を、総合で8位を記録している。若者の間では、いじめられっ子やひきこもりなど現実世界で行き詰まった主人公が異世界で新しい生活を楽しむ作品が支持されている。

 もちろん、現実の世界では都合良く物事が進んだりはしない。メディアでは、NPOなどの〝支援〟で心を入れ替えて働きはじめるひきこもりの人々の姿が〝美談〟として描かれやすい。そうした事例がないとは言えない。しかし、変わらずひきこもりを続ける事例も無数にある。

 「孤独」とは主観的概念であり、ひとりぼっちである精神的な状態を指し、「孤立」とは客観的概念であり、つながりや助けのない状態を指す。そうであるならば、ひきこもりを続ける人こそ、「孤独」であり「孤立」している。


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