推計146万人いるとされているひきこもり。当事者たちと正面から向き合ってきた立教大学社会学部教授の石川良子氏に話を聞いた(聞き手/構成・編集部 野口千里)。
立教大学社会学部 教授
1977年神奈川県生まれ。社会学・ライフストーリー研究。主な著書に『ひきこもりの〈ゴール〉』(青弓社ライブラリー)、共編著に『ライフストーリー研究に何ができるか』(新曜社)、共著に『「ひきこもり」への社会学的アプローチ』(ミネルヴァ書房)、『排除と差別の社会学』(有斐閣)など多数。
今の社会はひきこもりの人に対して、「怠けている」「何もしていない」という意見がいまだに蔓延っていると感じます。
しかし、私が向き合ってきた多くの当事者は、「こんなことをしているのは自分だけだ」と孤独を感じていて、様々な悩みをため込み、どこにも発散できず、ぐるぐると考え込んでいる。まるで〝生き埋め〟にされているような状態に陥っているのです。
「悩み、苦しみ、動けない」ということは、決して当事者が怠惰だからではありません。社会の大多数の人であれば、日々、受け流してしまうような悩みであっても、当事者は一歩一歩立ち止まって考えているのです。
仕事をしている時間はある意味で、様々な悩みを忘れられる時間にもなりますが、当事者は生き埋めにされているかのような苦しみの中で、常に考え、葛藤している。ある意味、エネルギッシュに生きていると言えるのかもしれません。
ひきこもりの解決策として、働くことがゴールであると位置づけられている支援が多いように思います。しかし、働くことよりも、まずは、「その人自身が幸せに生きる」ことが大切にされるべきなのではないでしょうか。現代は、同じ1万円でも、正社員として稼いだ1万円の価値が高いように捉えられがちな社会だと思います。しかし、1万円を得るためには、正社員として働く以外にも様々な方法があります。だから、自分が幸せに生きるためには正社員以外の選択肢があることを知るのも必要だと思います。
研究者としての道を歩み始めた頃は、私自身も「何もしていない、働いていない」状態の当事者に対して憤りを感じることもありました。ある支援者に、当時大学院生だった私は「当事者の方々は、このまま働けなかったらどうするつもりなんでしょうか」という質問をしたことがあります。すると、その人はこう答えたのです。
「どうしてあなたがそこまで心配するの?」
突き放されたように感じられて当時はもやもやしましたが、徐々に納得できるようになりました。当事者は、周りが勝手に心配して与えなくても、本人が自分で考えて行動できるはずである。その人は、そのようなことを伝えたかったのだと思うのです。
社会には、いまだに「生きること=働くこと」という規範が存在します。世間には、「自分は一生懸命働いているのに、ひきこもっている人は働かなくていいな」と思う人も多く、中には、非難の言葉を向けてくる人もいます。ですが、自分たちのことを否定するような社会に出て働きたいと思うでしょうか? 自分がその立場に立ったとしたら、どう思うでしょうか。そのような、柔軟な視点を持つことが必要なのではないでしょうか。