2024年11月22日(金)

孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代

2024年9月26日

働くことがゴールではない
根本的な解決は本人に

 一般的には社会に復帰し、働くことがゴールだと考えられていますが、調査を続ける中で「ひきこもり」とは社会参加・就労の問題ではないと考えるようになりました。「ひきこもり」とは生きることを巡る葛藤なのです。

 したがって、本人が自分で考え抜き、悩みや苦しみに折り合いをつけ、自分の人生・存在に納得することを抜きにして解決を語ることはできないでしょう。「働かないでどうやって生きていくのか」とすぐに思ってしまいますが、生きること自体が揺らいでいるのに「生きるために働け」と言われても動けるはずがありません。

 これが唯一無二の正解ではありませんが、当事者は生きることを難しくさせている核となるような苦悩をそれぞれ抱えており、それ「以外」の悩みを取り除いていくことが必要だと考えています。たとえば「ひきこもっている人は楽をしていると思われているのではないか」といった周りからの評価に対する恐れなどです。言ってみれば、当事者は社会のそうした否定的なまなざしによってひきこもらされているわけです。

 そのような状況下では核となる苦悩と向き合うことはできません。また、その苦悩は人それぞれであり、決して一律には論じられませんし、そこに第三者が立ち入ってはなりません。本人の頭を飛び越えて、これが正しい生き方だとか幸せな人生だとか決して決めつけるべきではない。

 我々が直接的にかかわることだけが支援になるのではありません。先ほど当事者は周りからの評価を恐れていると言いましたが、それは本人の気の持ちようで乗り越えられるものではないと思います。

 私たち一人ひとりが自分のまなざしを振り返ってみる。それは間接的にではありますが、ひきこもっている人たちが出ていきやすい世の中をつくることにつながるのではないでしょうか。

 人は一人ひとり違います。当然、考え方も違う。自分がどうしてもわからないことに対して共感することは難しく、無理にわかったふりをする必要はないでしょう。しかし、ひきこもっている人が存在していることは紛れもない事実です。仮に共感できなくても、生き埋めにされているかのように悩んでいる人たちがいることを知ってほしいのです。

 また、これは、ひきこもりに限った話ではありませんが、今は、様々な人を受け止められる「余裕のある社会」ではなくなってきています。変わるべきは我々、そして社会なのかもしれないという視点を持つことが必要なのではないでしょうか。

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Wedge 2024年10月号より
孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代
孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代

孤独・孤立は誰が対処すべき問題なのか。 内閣府の定義によれば、「孤独」とはひとりぼっちと感じる精神的な状態や寂しい感情を指す主観的な概念であり、「孤立」とは社会とのつながりや助けが少ない状態を指す客観的な概念である。孤独と孤立は密接に関連しており、どちらも心身の健康に悪影響を及ぼす可能性がある。 政府は2021年、「孤独・孤立対策担当大臣」を新設し、この問題に対する社会全体での支援の必要性を説いている。ただ、当事者やその家族などが置かれた状況は多岐にわたる。感じ方や捉え方も人によって異なり、孤独・孤立の問題に対して、国として対処するには限界がある。 戦後日本は、高度経済成長期から現在に至るまで、「個人の自由」が大きく尊重され、人々は自由を享受する一方、社会的なつながりを捨てることを選択してきた。その副作用として発露した孤独・孤立の問題は、自ら選んだ行為の結果であり、当事者の責任で解決すべき問題であると考える人もいるかもしれない。 だが、取材を通じて小誌取材班が感じたことは、当事者だけの責任と決めつけてはならないということだ――

 


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