2024年11月22日(金)

ネット炎上のかけらを拾いに

2018年8月31日

絶対に休めないことなんてない方がいい

 虐待には2種類の考え方があると思う。1つ目は、「独身時代と同じように、何の我慢もせずに自分たちのやりたいことばかり優先するバカ親が育児放棄したり、しつけと称して子どもに暴力をふるったりする」という考え方。2つ目は、「誰にも頼らずに自分だけで完璧な家事育児をしなければと追いつめられた親が、ある日糸が切れたように育児ノイローゼになり、子どもを叩いたりネグレクトをしたりする」というパターン。

 実際のところ現実は複雑で、このようにきれいに2つに分けられるものではないだろう。「最初は周囲の助けを借りながら順調に育児をこなしていた母親が、転居をきっかけに孤独な育児に悩み、精神的に不安定になり、子どもを置いて遊びに出かけるようになってしまう」ようなケースもあるだろう。ちなみにこういう場合に、母親を3発ぐらいビンタして玄関から蹴り飛ばせば心を入れ替えて育児するようになるだろうと思える人は、絵本「北風と太陽」の北風タイプなのだと思う。

 北風タイプの危険性は、その北風が直接子どもに当たる危険性を考慮に入れていないことである。親を追い詰めれば、そのしわ寄せはさらに弱い立場である子どもが被ることになる。

 休まないこと、手を抜かないこと、人に頼らないこと。その美徳ばかりが強調されてきたが、これを徹底することの危険性は平成に入って徐々に浸透してきたはずだ。休めるときは休むこと、うまく手を抜くこと、適宜人に頼ること。サボっていいのだ、そうでないと人は壊れてしまう、と。絶対に休んではいけないと思われていることほど、本当は休息が必要だ。

 ユーモアにあふれた「ママ閉店」のツイートを読んで、育児放棄を想像してブチギレてしまった人。その中に、仕事や育児は「絶対に休んではいけない」と思い込んでいる人がどうかいなければいいのだが……。

「そうでした俺、父親でした。」

 余談になるが以前、京王井の頭線の渋谷駅で、高尾山を背景に「ねぇパパ!と響く息子の声。そうでした俺、父親でした。」というコピーが載ったポスターを見かけた。親子でハイキングに出かけようという趣旨の爽やかなポスターである。

 しかしこれが「ねぇママ!と響く息子の声。そうでした私、母親でした。」だったら、「子どもほったらかしで、最近のお母さんはねぇ……」と、眉をひそめられそうだ。というかそもそも、そのようなコピーだった場合、なんとなく「ワンオペ育児に疲れ、気づくと山の中をさまよっていた母が、ふいに子どもの声が聞こえた気がして我に返った」というようなホラーなストーリーを想像してしまうから、このようなコピーは採用されないように思う。

 「そうでした俺、父親でした。」ぐらいのノリで、「ママ閉店」ポスターもいつか井の頭線に貼られる日が来るだろうか。
 

  
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