2024年11月22日(金)

ヒットメーカーの舞台裏

2011年9月7日

東日本大震災の影響で
早期の市場投入を決断

 村上はすぐさま、今季10万セットのロットで発売しようと決断した。スティックの設計と改良が猛スピードで進んだ。パイプ状の樹脂に穴を開けただけではあるが、おしぼりの氷結が均一になるよう様々な工夫がある。24個ある穴のいくつかはスティックの円周部に直角ではなく、ガスが拡散するよう、ある角度をもって開けられている。また、ガスの注入口から遠くなるスティックの下部に行くほど穴の径は小さい。ガスの重みによって下部の穴から噴出するガスの量が多くなるので、その量を適度に抑制するためだ。いずれも冷凍ガスを万遍なくおしぼりに噴霧する仕組みであり、スティックは実用新案を取得するとともに特許も出願した。 

 同時に、ガスはスプレー口を指で押しても出ない構造とするなど安全性にも配慮した。商品パッケージのデザインやガス缶の生産も取引先の協力によって大車輪で進み、6月下旬の発売に漕ぎつけた。

 東洋化学商会は父親(現会長)が創業し育てた会社で、村上は2代目社長だ。アメリカ留学から帰国すると日本はバブル崩壊期の就職難で、他社での修業は取りやめ父の会社に。だが、「帝王学のようなことは嫌い」であり、人と接触することが大好きだったので、営業部門に飛び込んだ。

 ヴィプロスの設立は人好きの村上が、「お客様をさらに広げたい」とかねて念願していた道でもあった。ただし、販路拡大のための代理店は置かずに、直接販売店を開拓するという手法にこだわっている。

 「お客様により近いポジションに居ることが商品の改良にもつながる」ことをこれまでの営業経験で体得してきたからだ。「プシュ冷え」でも女性ユーザーから貴重な意見を聴くことができた。冷凍剤のボンベをより小さくし、ハンドバッグにかさばらずに入るタイプを、というものだった。早速、来季の商品群として検討を進めている。

 ヴィプロスの取引先は、担当者が1社1社の開拓を地道に進め約250社となった。村上は「時間はかかっても当社の商品を認めていただき、1万社にするのが夢」と言う。そしてもうひとつ、「一瞬で氷をつくる夢も諦めていません」と笑顔で宣言した。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 村上愼吾(むらかみ・しんご)さん
ヴィプロス 代表取締役

村上愼吾さん (写真:井上智幸)

1968年生まれ
東京・品川に生まれ、千葉県市川市で育つ。小学校から野球のリトルリーグに入る。スポーツ大好き少年だった。
1989年(21歳)
アイオワ州のデュビューク大学に留学。高校1年生の時に1カ月交換留学をした経験があり、アメリカに憧れを抱いたため、渡米を決意。
1992年(24歳)
父親の会社である「株式会社東洋化学商会」に入社。当初から営業を志願して日本全国の代理店を担当。そのころからお客さんと接することが楽しみであった。
2000年(32歳)
取締役開発部長として会社の商品開発及び新規事業の開拓に力をいれた。このころから、取引する業界も増え、売上も大きく伸びた。
2006年(38歳)
代表取締役社長に就任。
2010年(42歳)
株式会社ヴィプロスを設立。一般消費者向けにこだわったケミカルを基本にした会社。一般消費者の目線にたち、顧客と近い関係を築いて行きたいと考えている。

◆WEDGE2011年9月号より



 

  


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