中国に対する政治的配慮か
実は「各国の動向」に相当する項目の記述順序も、25大綱の「北朝鮮→中国→ロシア→米国」から、30大綱では「米国→中国→北朝鮮→ロシア」と変化している。こうした変更の背景には、おそらく2つの意味があるのだろう。
一つは、トランプ政権の誕生に伴い、米国の国際秩序に対するコミットメントのあり方が変化しているということだ。これは米国が世界最大の総合的国力を有することは認めながらも、25大綱にあった「世界の平和と安定のための役割を引き続き果たしていくと考えられる」という記述を削除していることとも一致する。
もう一つは、中国との戦略的競争をあくまで米国の認識として客観的に記述することで、日本自身が中国との関係を戦略的競争と規定するか否かについては、明言を避けたということである。30大綱では、「中国の軍事動向等は…我が国を含む地域と国際社会の安全保障上の強い懸念となっている」との指摘はあり、体制整備の中長期的な方向性も、北朝鮮はもとより中国対処に重点が置かれている。それにもかかわらず、大綱全体で「中国は日本/日米同盟にとっての戦略的競争相手である」と言及していないことには違和感を覚える。
これは中国側に対し、「日本は中国を具体的脅威とみなして、防衛力整備を行なっているわけではない」と説明するための政治的配慮なのであろう。そこには日中関係改善の兆しがある中で、余計な摩擦を避けようとする狙いもあるのかもしれない。同様の配慮は、「自由で開かれたインド太平洋」という概念を「戦略」とするか、「構想」とするかといった議論の中にも見え隠れする。
しかしながら、日本の戦略文書における記述をいかに配慮したとしても、中国がそれに応じて、国際秩序に対する態度や長期的な軍備増強の趨勢を変化させるとは考えられない。それに「自由で開かれたインド太平洋」という概念が、リベラルな政治経済体制や国際的なルール・秩序を重んじるものであるものならば尚更、いずれかの段階で中国との間に戦略的競争の側面が生じてくることは避けられないだろう。
だとすれば、日本の安全保障環境、戦略ビジョン、防衛力整備の方向性を一貫性のあるものとして国民に説明するにあたっては、日中間に戦略的競争の側面があることを明確にした上で、その妥当性を訴える方がより適切だったのではないだろうか。
中国・北朝鮮に対する脅威認識は的確
ビジョンと具体的戦略の連関性についてはやや厳しい評価をしたものの、中国・北朝鮮の脅威認識に関する個別の記述は、非常に的確である。
30大綱では25大綱と順序が逆になり、中国についての記述が北朝鮮よりも先にきている。そこでは「透明性を欠いたまま、高い水準で国防費を増加させ、核・ミサイル戦力や海上・航空戦力を中心に、軍事力の質・量を広範かつ急速に強化」すると同時に、「指揮系統の混乱等を可能とするサイバー領域や電磁波領域における能力を急速に発展させ」「対衛星兵器の開発・実験を始めとする宇宙領域における能力強化も継続」し、更には「ミサイル防衛を突破するための能力や揚陸能力の向上を図っている」と、その軍拡の特徴が網羅的に指摘されている。ここで示されている認識が、後半に記述されている自衛隊の体制整備にあたり、宇宙・サイバー・電磁波領域への投資や、総合ミサイル防空能力を優先的に強化する主たる理由づけとなっていることは言うまでもないだろう。
北朝鮮に関する項目では、2018年に行われた南北首脳会談や米朝首脳会談の影響については一切言及せず、「近年、前例のない頻度で弾道ミサイルの発射を行い、同時発射能力や奇襲的攻撃能力等を急速に強化してきた」として、能力向上の側面を的確に指摘している。更に注目されるのは「核実験を通じた技術的成熟等を踏まえれば、弾道ミサイルに搭載するための核兵器の小型化・弾頭化を既に実現しているとみられる」という記述である。2018年8月末に公表された「防衛白書」では「核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性が考えられる」という表現であったことを踏まえると、この間に北朝鮮の核弾頭搭載能力に対する日本政府の情報評価に、より確信を強める変化があったものと思われる。この他、非対称的な軍事的能力として大規模なサイバー部隊を保持し、他国の軍事機密窃取や重要インフラへの攻撃能力開発を行なっている、と指摘されている点も重要である。
他方、ロシアに関する項目は、3行(25大綱)から5行(30大綱)に増えているが、中国や北朝鮮に割かれている分量からすると僅かに過ぎない。加筆部分についても「北極圏、欧州、米国周辺、中東に加え、北方領土を含む極東においても軍事活動を活発化させる傾向」にあるとの評価があるものの、日本に対する直接的な軍事的懸念・脅威であるとは認識されていない。これは上位文書である国家安全保障戦略がロシアに関する脅威認識に全く言及しておらず、空自のスクランブル体制などの一部を除けば、それが自衛隊全体の体制整備の方向性に殆ど影響を与えていないという点では、論理は一貫している。