そんな中、修平さんの父で現会長の中田孝一さんは、個人客向けのハンガーを作って販売する「BtoC」に力を入れ始める。価格勝負になりがちなファッション業界用から、より高付加価値の個人用へと舵(かじ)を切ろうと考えたのだ。そこへ、ちょうど米国での仕事を終えて戻った修平さんが入社する。2007年のことだ。
「アメリカまで行って田舎に戻るのは正直嫌だったのですが、東京の青山に店を開くというので、面白そうだと思ったのです」と修平さん。入社して初めての仕事が青山のショールーム作りだった。
未知の世界に飛び込む
家業とはいえ未知の世界に飛び込んでみると、そこには大きな資産の山があるように見えた、という。当時でも60年以上の歴史があり、確かな技術があり、ハンガーづくりへのこだわりや思いがあった。それを消費者に伝えていけば、必ず価値を見いだす人たちがいる。そう確信したのだという。
それまでは、「どんな良い商品でも安くしないと売れない」という考えが全社的に染みついていた。価格勝負が当たり前になっていたのだ。修平さんが、良いものなら高く売れると説いても、社員は半信半疑だった、という。
モノづくりの発想も違った。取引先から言われた通りのモノを忠実に作るのがメーカーの役割だという考えが染み込んでいた。どんなハンガーが良いか、消費者に提案することなど、考えてもいなかった、というのである。
青山のショールームでは「NAKATA HANGER」というブランドを前面に押し出した。中田工芸という社名では何の会社か分からない。ハンガーの後ろに付けるロゴも作ったが、豊岡で製造したものにしか、このブランドを付けないことに決めた。国産品を徹底して高付加価値商品として売ることにしたのだ。
きちんとした価格で売れば、その分、腕の良いハンガー職人の給与を引き上げて報いることができる。人手不足の中で、きちんとした給料を払わなければ将来を託せる人材は集まらない。そうなれば、技術の伝承もままならない。経済の循環を維持し続けるには、良い商品をきちんとした価格で売る高付加価値路線が何よりも大事なのだ。