メキシコ人の好きな自虐ネタにこんなのがある。
「メキシコは天国から余りにも遠く、アメリカに余りにも近い」
自国の貧しさを世界一の富裕国に隣接する悲・喜劇性と絡め、嗤っているのだ。
私がそのことを思い知ったのは、カリフォルニアから徒歩で国境検問所を越えてメキシコに入った当日。ほぼ半世紀前のことだ。
国境の町ティファナは、すぐに物乞いの群れに付きまとわれて煩わしく、加えて異様に猥雑なので、私はメキシコ中部の太平洋岸まで一気に下ろうと、鉄道の始発駅メヒカリに向かうバスに跳び乗った。
ティファナからメヒカリまでは2時間ほどだが、1時間近く走った頃、バスは奇妙な場所で停車した。人家もバス停もなく、左手はアメリカへと続く砂漠地帯である。
7~8人の男たちがゾロゾロ降りた。彼らは荷物を持ち、砂漠へと歩き始めた。
私は片言のスペイン語で隣の男に尋ねた。
「ア・ドンデ(どこへ?)」
男は答えてくれたが、「ア・ロス・エスタドス・ウニドス(合衆国へ)」と「ノチェ(夜)」しか理解できなかった。
けれど、彼らが密出国の集団であり、案内の業者と共に夜中にアメリカ・メキシコ国境を越える予定、ということはわかった。
運転手は平然とスタートし、乗客からの不審がる言動もない。ということは、こうした「途中下車」は日常茶飯事なのだ。
私はその数日前まで、集団一行が目的地とするカリフォルニアの隣のアリゾナにいた。
砂漠の中の土地開発会社の臨時雇いだったが、時折南から徒歩でやってくる密入国者のニュースを聞いた。国境警備隊が何人逮捕したとか、どこそこで遺体が発見されたとか。
正直、サボテンに囲まれたプールの傍らでそんな話を聞いてもピンとこなかったが、メキシコで日常化した密出国者送り出しを見ると納得が行く。アメリカ西海岸の農業が不法移民の労働力を不可欠としている以上、圧倒的経済格差に誘引された彼らの危険な国境越えには、「合理的」蛮行の側面がある、と。
現在、世界の耳目を集めているメキシコ国内の「移民キャラバン」は、以上とは多少性格が異なる。中核となっているのが、国内での治安悪化を逃れて北上してきた中米諸国(特にホンジュラス)からの避難民だからだ。
最近の報道によると、昨年11月以降ティファナには1万人近くが到着した。だがトランプ政権は彼らに厳しく対処しており、違法入国を試みた約2600人がアメリカ側に拘束され、難民申請した約2500人も却下。キャラバン参加者の約3割は止むなく帰国したと推察される。ただし、メキシコ南方には新たな「移民キャラバン」が次々集結、一部はすでに入国した(1月20日付朝日新聞)。
ホンジュラスで何が起きているのか?
その内情をレポートしたのが工藤律子さんの『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、2016年)だった。
メキシコで長年ストリートチルドレンの支援活動をしてきた工藤さんは、近年ホンジュラスから凶暴なマラス(ギャング団)に追われ逃げてくる若者の増加に気付いていた。
「親や兄弟を殺されたり、自分も殺人を強要されたりした末の命がけの逃亡です」
私の著者インタビューでそう語った。
著作は、殺人発生率世界一のホンジュラスに乗り込み、ギャング団の元リーダーや抜け出した若者たちから体験談を聞き、彼らの更生に取り組む現地のNGOや教会関係者の活動をも記録した稀少な実地調査だ。
ギャング団は昔もいたが、麻薬や縄張りを巡って抗争が激化し殺人が急増したのは、中米(メキシコも)ではこの10数年のこと。なぜか?
「私は契機は1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)じゃないかと思います。アメリカ流の経済最優先の新自由主義的な考えが流れ込み、それまでラテン・アメリカの社会にあった“貧しくても助けあって幸せに”という仲間意識が急速に失われたのでは」
工藤さんの取材では、ホンジュラスの凶暴なギャング団は、一度アメリカに不法入国しその後戻ってきた不良やその子弟が、故郷でパワーアップして再結成したもの、らしい。
半世紀以上前から、アメリカへの密入国者にはメキシコ人以外にグァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル人が一定数いた。「アメリカがクシャミすると風邪を引く」歪(いびつ)な力関係は、中米でも歴史的なものなのだ。