ここ数年に亘(わた)って、僕は『万葉集』の歌を一首から三首、ほぼ毎日読み続けている、と書くと、貴方、驚くか? それとも、「ふん、冒頭から自慢していやがる」と口唇をとがらせ頁を捲ろうとなさるか? しばしとどめん。
あのですね、トイレに置いてあるんですワ、『万葉集』を。「なんと!? 我が国の誇る神聖なる和歌集をば、雪隠なんぞに常置しておると申すか!?」とのお叱りはごもっともでしてね。尊敬しとったんですワ、僕も。何をって? 『万葉集』をですよ。否、尊敬を通り越し、畏怖の念に近いモノがあり、故に長く教科書に載るほどの歌以外に対しては敬遠気味でありました。ですがね、次の一首を知って肩の力が抜けたんです。
淑〔よ〕き人の良〔よ〕しと吉〔よ〕く見て好〔よ〕しと言ひし
芳野〔よしの〕吉〔よ〕く見よ良〔よ〕き人よく見 (天武天皇 巻1-27)
天武天皇の御製歌なんですよ。
天皇が「ヨシ」なる目出度い語を八回も繰り返した理由は、皇位継承を巡っての骨肉の争いに終止符を打つようにと、吉野に於いて六人の皇子に誓約させた際の歌である、なんて知ったのは後の話。
咄嗟(とっさ)に我が脳内に浮かんだのは、回文や、折り句〈頭文字(かしらもじ)を横や縦に読む〉など、言葉遊びの仲間ではないかと思えたのですね。
さらに、この歌には呪術的意味があったと知って「YO」に力点を置き、早口で読んでみると、先の畏怖の念など吹き飛んで、楽しくもなろうというものである。
この時なんですワ、『万葉集』がトイレに運び込まれたのは。爾来(じらい)、直方体の狭い空間は、僕の万葉箱となった。
寄せつけぬが如く遠くに聳(そび)え立っていた万葉山が身近な遊び場としてのすべり山に変化した。
怒濤逆巻いていた万葉川は今やせせらぎの面を見せてフルチンでの水浴びを許してくれた。
神木〔かむき〕にも手は触〔ふ〕るといふをうつたへに
人妻といへば触れぬものかも (大伴安麻呂 巻4-517)
神木だって、うっかりとさわっちまったりするものなのに、人妻というだけで何でちょっかい出しちゃいけないんだよう。
ここまで軽薄に訳さなくても良いだろうが、『万葉集』に対する緊張感は霧散する。
『万葉集』の収録歌数は四千と五百首。
日本人はこの中から我が歌として一首を選んでおいて、挨拶の時は互いに諳(そら)んじてみせる。偶然に歌が重なったりすれば大騒ぎで酒も旨くなろうし、くだらぬ政治や金儲けや犯罪の話などせぬ人に─ならましものを。
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