2024年5月15日(水)

ヒットメーカーの舞台裏

2011年11月29日

 同社の場合、自社生産といっても製造工程はすべて手作業で進められる。この点でも「知識があれば、まず機械導入ありきに走っていくだろうし、無駄な設備投資につながるかもしれない」と、文系を逆手に取っている。繁忙期にはパート従業員や内職に依存することもあるが、基本的に生産は和田と両親の3人でこなしている。典型的な家内工業である。

足の負担軽減のため、えぐるように練りこむ。

 「消しゴム」では、素材の調合と練りを和田、成形を母親、パッケージングは父親といった具合に分業している。実演してもらったが、調合と練りは相当な重労働だ。プロセスは、手延べうどんを仕込むのとほぼ同じ。小ぶりのタライのような樹脂製容器で、粉末の各素材と溶剤を混ぜながらヘラで手こねし、その後、足で踏みながら練り上げる。

 うどん生地のように寝かすことはないが、息のあがる約20分の作業だ。季節や天候によってうどんでは水分を調整するように、この作業でも同様に溶剤を微調整するという。こうした製法は「ピカピカ」以来続けている。かつて機械による攪拌を試みようとしたこともあったが、研磨剤が機械を傷つけ、機械の金属粉が混入することが分かり、断念した。

 以来、“うどん製法”を続けている。しかし、和田はそこに「われわれのような零細企業が生きる道がある」と言う。機械化が難しいため、大手はこの種の研磨剤を敬遠しており、ホームセンターなどの店頭にも大手による製品はまず見かけないそうだ。うどん製法の足技にこそ、自社の活路があったのだ。

 和田は2009年に社長に就任したばかりだが、この十数年は製品の企画・開発から素材調達や製造、さらに営業に至るまで切り盛りしてきた。売上高はコンスタントに1億2000万円規模を確保している。自社での生産が追いつかないヒットに恵まれた時には、社外に生産委託しようかと悩んだこともあったが、「規模を追って品質やコストへの影響が出るよりは良かった」と思っている。

 これからも基本は「ヨソにはないと消費者に感謝される製品を送り出すこと」だ。そのためには「零細企業のままでもいいから、手作りにこだわりたい」と言い切る。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 和田吉弘(わだ・よしひろ)さん
和田商店 代表取締役社長

和田吉弘さん   写真:井上智幸

1972年生まれ
東京都練馬区に生まれ、埼玉県鶴ヶ島市で育つ。『週刊少年ジャンプ』などの漫画を読むのが好きだった。物心がつくころには、父親が実演販売している店舗に出かけ、働いている姿をよく観察していた。20人以上の客を相手にして、時にはからかいながら、場を盛り上げて商品を売っていく父親を尊敬していた。
1991年(19歳)
明治大学商学部に入学。父親の仕事の影響もあり、就職先としては自然と流通関連を志望するようになった。
1995年(23歳)
大手衣料チェーン店に就職。商品陳列やレジ業務などを担当。新潟で勤務した際、大雪の日にお客さんがほとんど来店せず、1店舗の売り上げが、父親の実演販売の売り上げより少ないことがあり、「お客さんが来ない場所で商売してどうする」と父親に叱られる。1年後に、忙しい父親を手伝うため、和田商店に入社。
2004年(32歳)
腕に負担がなく、すりおろす粗さが変えられるおろし器「プロおろし」を発売。繁忙期で月に1万個以上売れる大ヒット商品となる。
2009年(37歳)
和田商店の社長となる。独自性ある商品開発のため、他社の同行はあまり気にしないようにしている。

◆WEDGE2011年11月号より


 




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