コカイン世界最大生産地コロンビアの現場から

2019年4月11日

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柴田大輔 (しばた・だいすけ)

フォトジャーナリスト

日本芸術専門学校卒業後、フリーランスのフォトジャーナリストとして取材・報告活動を始める。2004年から1年間、ラテンアメリカ13か国を旅し、現地で出会った多様な風土と人々の生活に惹かれ、コロンビアを中心にメキシコ、ニカラグア、ペルーで住民運動や日常生活を取材し続けている。

コカ栽培による苦悩

 コカは古来、アンデス山脈に暮らす先住民の間で儀式の中や薬草として暮らしの中で使われてきた南米原産の植物だ。それは今も変わらない。一方で、現在はコカインの原料としての栽培がそれ以上に広がっている。ラテンアメリカの開発問題を研究する千代勇一帝京大学講師はその過程を『コロンビア農民の生存戦略――コカ栽培が人々の生活にもたらしたもの』(SYNODOS)でこう述べている。

 「1980年代の米国では、それまで流行していたマリファナに代わる麻薬としてコカインがブームとなったが、このビジネスを取り仕切ったのがコロンビアの麻薬組織であった。巨大なカルテルに成長したコロンビアの麻薬組織は、先住民が多く伝統的にコカが栽培されてきたペルーとボリビアからコカあるいは一次精製物質のコカ・ペーストを手に入れ、コロンビアでコカインに精製して欧米などへ密輸をしていた。

 麻薬問題が深刻化していた米国は、1980年代末の冷戦終結を機に麻薬対策に本腰を入れ、ペルーとボリビアに対してはコカインの原料をコロンビアに空輸するルートの遮断を支援し、コロンビアに対しては麻薬カルテルの壊滅に協力した。この結果、コロンビアでは90年代後半になると、それまで麻薬ビジネスの警護をしていた左翼ゲリラがカルテルに代わってこれを取り仕切るようになり、また、ペルーとボリビアから調達できなくなったコカがコロンビアで栽培されるようになっていったのである」

 こうしたことから、コカ栽培を通して住民が武装組織と関係をもち、彼らの対立に巻き込まれていくことになる。オスカルが暮らす場所も、同様だった。

 「私の父はゲリラの一員だと思われ、軍に殺されてしまったし、義理の兄弟はゲリラに殺されました。周囲の大多数の人も家族の誰かが犠牲になりました。ここの住民で犠牲者のいない家族はいません」

 コカは、人々に目に見える「豊かさ」をもたらす一方で、死と隣り合わせの日常へと暮らしを変化させた。しかし、彼はコカを手放すことができない。政府は、補助金を伴う合法作物への代替えを推し進めているが、オスカルは「今の段階で、私は代替え政策を受け入れることはできない」と話すのだった。なぜだろう。

 「他の作物を作ったとしても、それを売るための市場がここにはないのです。ここは水も土地も豊かで、様々な作物を豊かに作ることができます。しかし、ここには売る先がありません。誰も買い取ってくれなければ1ヘクタールのバナナ畑を持っていても意味がありません。そして、そもそも、大量の生産物を出荷するための交通手段がありません」

コカの収穫で手にしたお金で買い物に。子どもへのプレゼントも忘れない

 現段階ではコカを作り続ける以外に、自力で生活手段を見つけることは難しいのが現状なのだった。オスカルは将来についてこう話す。

 「私は、子どもたちにコカと関わることがないよう教育をしたいのです。2人の子どもたちには、違法なコカ栽培はしてほしくありません。政府が言うように、合法的な職業に就かせたいのです。人生には、たくさんの選択肢があるのですから」

 2017年、コロンビアのコカ栽培面積は過去最高の17万1000ヘクタールを記録した。政府は対策として兵士による手作業による除去の他に、過去、環境や健康への恐れから中止していた農薬グリフォサート散布による除去作業を試験的に再開した。コカ栽培地に暮らす住民の生活環境が改められないまま、コカのみが取り去られようとしている。

  
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