2024年12月23日(月)

栖来ひかりが綴る「日本人に伝えたい台湾のリアル」

2019年8月16日

 日本で起こる無差別殺傷事件が止まるところを知らない。

 2016年、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元職員の男が侵入し包丁などで入所者19人を殺害した。今年に入ってからは、5月に川崎市多摩区で起こった登校途中のスクールバスを狙った通り魔殺傷事件で18人が負傷、2人の命が奪われた。7月の京都アニメーション放火事件では、被害を受けた68人のうち現時点で35人が亡くなり、殺人事件の死者数として戦後で最も多いとも言われる。

iStock / Getty Images Plus / BrianAJackson

 この次はいつ、どこで起こるのか。だれが加害者で、だれが被害者となるのか。近頃は日本のニュースを見ていると、どこもかしこもが腐食して今にも手すりが落ちたり底が抜けそうな橋を渡っているような錯覚におそわれる。幼いころ、とても頑丈に頼もしく見えていたこの橋は、いつからこんなにも脆く、危うくなってしまったのだろうか。

 考えさせられたのは、川崎市19人殺傷事件で犯人が自ら命を絶ったことをうけて、ネットにあふれた「他人を巻き込むな」「死ぬならひとりで死ね」という怒りの言葉に対し、「ひとりで死ねと言うメッセージを控えるべきではないか」という論争が巻き起こったことだ。

 論争の元となったのはソーシャルワーカーの藤田孝典氏の発言で、「人間は原則として、自分が大事にされていなければ他者を大事に思いやることはできない」「メッセージを受け取った犯人と同様の思いを持つ人物は、これらの言葉から何を受け取るだろうか」と、社会から発せられる負のメッセージが次の凶行への連鎖となることへの注意を促した。ここで言われる社会からのメッセージについて筆者が思いだしたのは、2016年に台湾で起こった通り魔事件の被害者遺族「クレアさん」のことだった。

 「自己責任」という感覚が分断を生み続けている日本に比べ、助け合いの意識を残す台湾。じっさい、日本人が台湾に対して懐かしさや暖かさを感じる理由の一つは、そうした他人への共感力が社会に残っているからではないか、そんな記事を以前書いた。

日本人はどうして席を譲らないのか?——台湾の「同理心」と日本の「自己責任」から考える(nippon.com)

 しかし台湾でも、実は無差別殺傷事件が社会問題となっている。顕著となったのはさほど昔ではない、ここ10年ほどのことだ。

幼い娘を殺された母親が発した「驚きの言葉」

 2009年に起こった台北市士林区の通り魔事件では2人が負傷、1人が亡くなった。殺人事件といえば、痴情のもつれや怨恨、金銭目的が主だった台湾犯罪史上において、この事件は台湾社会に大きなショックをもたらした。

 2012年には台南市で、30歳の男がゲームセンターのトイレで10歳の男児を殺害。逮捕後に犯人の男が「ひとりふたり殺したぐらいでは死刑にならないから一生を牢屋で暮らす」「もし今日捕まらなかったら捕まるまで殺人を繰り返した」と口にし、これを機に死刑存廃問題が台湾社会で注目されるようになる。

 2014年には、台北市のMRT(地下鉄)車上で4人が死亡、24人が怪我を負った衝撃的な通り魔事件「臺北MRT無差別殺傷事件」が勃発、また翌年2015年には小学校のトイレに隠れていた男に女児が首を切りつけられて死亡した「文化国小通り魔事件」が発生した。

 そして2016年に起こったのが、內湖隨機殺人事件、通称「小燈泡事件」である。現場は、IT企業などが集まる台北郊外のベッドタウン。覚せい剤使用で服役したことのある男が、通りすがりの三輪車に乗った3歳の少女・小燈泡(豆電球という意味の愛称)ちゃんの首を菜切り包丁で、しかも母親の目の前ではねるという世にも凄惨な事件で、被害者は台湾の無差別殺傷犯罪史上、最年少だった。

 小さな女の子が、路上で首をはねられた。これだけでもかなりショッキングな事件で、世間は騒然となった。最近までこの手の犯罪とは無縁だった台湾社会で、こうも悲惨な事件が数年のうち何度も起きてしまった。ネットやニュースは人々の悲鳴に近い言葉であふれ、誰もが「一刻もはやく犯人を死刑に」と叫んだ。

 その夜、台湾社会に激震を走らせたのは犯人ではなかった。殺害された小燈泡(シャオタンバオ)ちゃんの母親・クレアさんがテレビカメラの前に出て、涙を流しながらも気丈に「犯人をこんな凶行に駆り立てた社会にこそ問題がある、二度とこんな事の起こらない安心な社会を作って欲しい」と政府に訴えたのである。

 この映像を観た時のショックはうまく言葉で表せない。もしわたしが彼女の立場なら、半狂乱となってテレビで何か喋ることなんて不可能だろうというのが、その時の素直な感想である。おそらく多くの人々がそのように感じ、この時点では彼女の勇気に賞賛の声を送り讃えた。しかし、これだけでは収まらなかった。


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