米国史を通じ最高指導者にとくに求められてきた資質のひとつに「humility」が挙げられる。「謙遜」、「自己卑下」、「謙虚」などと訳されており、歴代の大統領就任演説、米議会で読み上げる年頭教書などでもその重要性がしばしば力説されてきた。だが、第45代大統領が登場して以来、その片鱗すら話題に上ったことはない。逆に際立つのが「尊大」と「自己喧伝」だ。
「humility」の語源は、Merriam-Webster辞典によると、「低い」を意味するラテン語の形容詞「humilis」に由来し「自慢や傲慢からの解放」「自己卑下した状態」を意味する。同義語に「humbleness」「modesty」、その反意語として「arrogrance(傲慢)」「egotism(エゴ)」「haughtiness(自己優越・他人蔑視)」などがある。
国の大小を問わず、指導者に求められる重要資質をひとつだけ挙げるとすれば、まずこの「humility」だろう。
アメリカの場合、とくに大統領は世界にも大きな影響を及ぼす強大な権限と責任を負うがゆえに、国民の前に謙虚な姿勢を示すことで、幅広く支持と協力を呼びかける重要な言葉として受け止められてきた。
「humility 」は一般社会でも広く使われおり、会社での昇進祝い、政治家の当選スピーチなどでは欠かせないキーワードにもなっている。まさに「実るほど、首を垂れる稲穂かな」だ。
ジョージ・ワシントン初代大統領は就任1年前の1775年6月、英国相手に本格戦争を挑む「大陸陸軍司令官」への任命受諾演説の中で「自らの能力と軍隊体験を振り返るとき、これから課せられる広範囲に及ぶ責任と重要な信頼に応えるに十分なものかどうか、大いに苦悶せざるを得ない」と自己卑下し、大統領任期に制限のなかった当時、自ら2期のみで引退表明した際には「過去8年のわが政権の仕事を総括すれば、意図したものではないにせよ、多々過ちを犯したことを自覚せざるを得ない」と謙虚な姿勢を見せ、聴衆を魅了させたといわれる。
第16代リンカーン大統領は、南北戦争最中の1862年12月、北軍側にも1万2000人という多数の戦死者を出した「アンティータムの戦い」について「過去の静穏なるドグマは粗けき今日には通用せず、われわれは謙虚に新たな思考と新たな行動が求められる」と訴え、戦士たちに謙虚さと奮起を促した。
1864年8月、ホワイトハウス訪問客に対し「私はたまたまこの大きなハウスに住んでいるだけであり、わが父がそうであったように、あなた方の子供の誰かもいつかここにやって来ることになるかもしれない」と優しく話しかけたことも、有名な言い伝えとして記録されている。
同年11月、大統領再選を果たしたスピーチでは「これまでの戦いで自分に異を唱えてきた人物が誰であれ、とがめたりすることはしない。私がそもそも勝ったこと自体、けっして自慢すべきことではない」と述べ、敗者への気配りを忘れなかった。
しかし、こうした国家指導者としての謙虚な姿勢は、たんなる遠い過去のエピソードではなく、現代にまでしっかりと伝承されてきた。