2024年4月17日(水)

Washington Files

2019年7月22日

(iStock.com/flySnow/Purestock)

 「アメリカ・ファースト」の掛け声でスタートしたトランプ政権の“孤立主義外交”が、見直しを迫られている。最近の米・イラン関係の深刻化にともなう「有志連合」結成呼びかけがその一例だが、アメリカ単独では対応しきれないグローバル化時代の難題に直面しつつあるためだ。

 トランプ政権が2017年1月、発足以来単独で打ち出してきた外交・安全保障、通商面などの諸政策は、世界の多くの国にとって意表を突くものばかりだった。

 環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱(2017年1月23日)に始まり、地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」離脱(同年6月1日)、対キューバ渡航・通商規制の強化(同年6月16日)、「イラン核合意」離脱(2018年5月9日)、史上初の米朝首脳会談開催(2018年6月12日)、米露中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱(2019年2月2日)……。

 これらの政策の根底にあるのは、アメリカは伝統的に一国だけで政治も経済も運営でき、他国からの干渉も受けず、侵略される危険もなく、安全で豊かな生活が保証されるという自信にほかならない。

 アメリカが、地理的にも歴史的にも世界に類を見ない恵まれた特殊な環境にあることについては、いみじくも稀代の戦略家ヘンリー・キッシンジャー元国務長官がかつて筆者にもこう語ってくれたことがある。

 「誕生日(建国日)を特定でき、移民国家であり、東西(太平洋と大西洋)および南北(メキシコとカナダ)に外的脅威が存在せず、建国以来、曲がりなりにも統一国家として存続してきた。しかも国民を養うための経済活動も外国貿易に依存することなく、豊かな国内資源の活用と消費で十分事足りた。こんな国は世界のどこにも存在しない……」

 しかし、だからと言ってアメリカがその歴史を通じ、孤立主義isolationismを貫いてきたかと言えば、無論そうではない。実際はその時々の世界情勢の展開によって、あるときは孤立主義外交を、またあるときは関与政策policy of engagementを推進するというその繰り返しだったと言える。

(Moussa81/gettyimages)

 戦前におけるアメリカ孤立主義の代表例としてしばしば引用されてきたのが、1823年、第5代ジェームズ・モンロー大統領が宣言した「モンロー主義(Monroe Doctrine)」だった。その狙いはもともと、当時、中南米植民地において盛り上がりつつあった民族独立運動について欧州諸国に対し不干渉を求めると同時に、アメリカも欧州の戦争に関与しないことを約束したものだった。さらに、当時アラスカを領有していたロシアが太平洋岸沿いに南下政策をとることにクギをさす目的もあった。

 ただこの間、アメリカは自国の殻の中に閉じこもりきりだったわけではなく、メキシコとの「米墨戦争」(1846-48年)で勝利し、メキシコ領だったカリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、テキサスを割譲させるなど、北米大陸内での領土拡大に成功している。

 第一次大戦では当初、欧州大陸を主舞台とした戦争であることを理由に傍観していたが、勃発から3年後の1917年、戦域が中東、アフリカ、太平洋にまで拡大するに及んで英仏など連合国側に加わり参戦した。結果的に連合国側の勝利に終わったが、米国内で高まりつつあった厭戦気分に後押しされたウッドロー・ウイルソン大統領の提唱で終戦後の1920年に設立されたのが、世界平和を希求する「国際連盟」だった。

 ただ、皮肉にもアメリカは設立の際のイニシアチブを発揮したものの、米議会の批准を得られず、正式には最後まで加盟しないままだった。この当時の米国世論はいぜんとして、世界との関わりをできるだけ避けようとする「モンロー主義」を引きずっていたといわれている。

 しかし第二次大戦以降は一転して、対外関与政策に転換することになる。その引き金になったのが1941年12月の「真珠湾奇襲攻撃」だった。それまでは以前本稿でも述べた通り、トランプ大統領の看板スローガンにもなっている、その名もずばり「アメリカ・ファースト委員会(America First Committee)」などに代表される孤立主義運動が全米を闊歩しつつあった(本稿2018年12月24日付『トランプと英雄リンドバーグとの奇妙な接点』参照)

 アメリカ外交の基本スタンスは大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、東西冷戦、湾岸戦争などに象徴されるように、孤立主義を遠ざけ、どちらかと言えば一貫して積極関与主義に彩られてきたということができよう。そしてそれは、民主、共和の党派にかかわりなく超党派的アプローチでもあった。

 これを根本から覆そうとしてきたのが、トランプ大統領にほかならない。

確たる国際貿易ビジョンを欠いたまま

 政権発足後、事前協議抜きで関係各国を困惑させた最初の単独行動が、TPP離脱だ。だが、その後の米通商政策をフォローすると、焦燥と混迷に彩られ、それに代わる確たる国際貿易ビジョンを欠いたまま今日に至っている。

 それどころか、昨年1月には大統領は、共和党の大票田である食肉業界はじめ農業団体からの突き上げを受け、スイスのダボス会議で「TPPへの復帰検討」を表明、一方、日本初め参加11カ国は、一部加盟国の間で「アメリカの復帰を求める必要なし」との空気も広がる中で、同年12月、協定正式発効にこぎつけた。取り残された米政府は日本などとの新たな二国間合意で通商面の不利をカバーしようとしているが、長期的な展望を開けないままでいる。

 この間、TTPとは別に、ASEAN10カ国に日中韓、オーストラリア、ニュージーランド、インドを加えたアジア16カ国は今年6月、東アジア包括的地域経済連携協定(RECEP)早期締結に向けた第26回会合を開催、ここでもアメリカ抜きの大規模自由貿易圏形成の動きが加速しつつある。
 このままではアメリカは、21世紀グローバル経済の中心的存在であるアジア太平洋から取り残される一方となるだけに、トランプ大統領のこれまでの孤立主義外交は重大な試練に直面しているといっても過言ではない。


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