赤坂英一の野球丸

2019年8月28日

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球数制限が導入されても、ドラマが甲子園からなくなることはない

 この夏、そういう意味で最も印象的だったのは、初戦で熊本工に敗れた山梨学院の左腕エース相沢利俊(かずとし)と吉田洸二監督である。山梨学院も関東一と同じように、左の相沢と右腕エース佐藤裕士(ひろと)とのダブルエース体制。県大会では佐藤のほうが相沢より1試合多い4試合、14回3分の1を投げている。試合前には、吉田監督も継投になることを示唆していた。

 ところが、相沢の先発で試合が始まると、佐藤は一度もブルペンで準備せず。2-2の同点だった七回、相沢が左ふくらはぎに痙攣を起こし、吉田監督はもう一度やったら交代させるよう審判に勧告された。が、それでも相沢を続投させて延長戦に突入。そして、延長十二回、相沢の140球目がバックスクリーン左に運ばれ、サヨナラソロ本塁打となった。その瞬間、相沢はマウンドにしゃがみ込んだ。

 吉田監督は試合後、実は右のエース・佐藤が右肘を壊していたことを、初めて報道陣に打ち明けた。佐藤は開会式後に右肘に違和感を覚え、急遽病院で検査を受けたら疲労骨折という診断。県大会での奮投ぶりが災いし、初戦当日はキャッチボールすらできない状態だったという。

 「相沢が非常に粘り強く投げていて、試合の展開から、代えるに代えられませんでした。私は試合中、投手に〝いけるか〟と聞くことはありません。そう聞かれたら、投手は絶対に、〝いけます〟としか言わないんで。

 だから、相沢を最後まで投げさせたのも、こういう結果になったのも、すべて私の責任です。私は投手と心中するキャラの監督ではないんですが、きょうは初めて、相沢と心中しようと思いました」

 そう率直に語った吉田監督は13年前の春、やはりエースを連投させて涙を呑んだ経験がある。初出場の清峰を率いて臨んだ2006年の選抜大会、決勝で対戦した横浜に0-21と、大会記録の最多失点、最多点差で大敗。

 このときの一番の敗因が、エースの有迫亮の投球過多にあった。有迫は準決勝までの4試合38回をひとりで投げ抜き、球数は570球に上っている。2回戦の東海大相模戦は延長十四回で193球、準々決勝・日本文理戦、準決勝・PL学園戦は2試合連続完封で、PL戦はエース・前田健太(のちに広島カープ、ドジャース)との投げ合いだった。

 しかも、準決勝と決勝の間に休養日があるいまとは違い、翌日の決勝で2連投となった。有迫が疲れていないわけはなく、2回3分の0で4失点するや、吉田監督はすぐに降板させている。「私は投手と心中する監督ではない」という言葉の裏側には、そういう06年の苦い記憶があったのだ。

 ちなみに、このときの横浜の監督が、いま「投手の障害予防に関する有識者会議」に名を連ねている渡辺元智氏である。後日、清峰戦の感想を聞いたら、「あの試合は有迫くんが気の毒でした」と話していた。

 あれから13年、吉田監督は初めてエースとの「心中」を決断し、敗れた。相沢と佐藤は中学時代からのチームメートで、「絶対に甲子園に行こう」と誓い合っていた仲だ。相沢は試合後、悔し泣きしながらこう言っている。

 「かけがえのない仲間たちと、もう少し野球を続けたかった」

 その涙は尊い。たとえ球数制限が導入されても、こういうドラマが甲子園からなくなることはないだろう。

◎参考資料

東洋経済オンライン『鈴木大地スポ庁長官が語る「高校野球の未来」』(6月29日配信)

  
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