韓国のチョ・グク法相が辞意を表明した。 検察との〝バトル〟に敗北した格好だ。
チョ法相は、検察改革を掲げる文在寅大統領の強い意を受けて就任したものの、検察が反発、法相の夫人を起訴する事態になっていた。
検察と、それを指揮監督する法務の対立など、本来ありうべからざることだが、実は日本でもかつて、同様の構図の争いが展開されたことがある。
時をさかのぼること終戦間もない時期、最高検次長検事を辞任に追い込んだ法相の疑惑を検察が徹底捜査し、訴追にこそ至らなかったものの、交代に追い込んだ。強大な権限を有する捜査の現場には、たとえ法相であっても太刀打ちできないことを示した事件だった。
今回の韓国版〝骨肉の争い〟との類似性に驚かされる。
文大統領も謝罪
チョ・グク氏は、10月14日、「(家族の疑惑に関して)大統領と政府に負担をかけてはならないと判断した」とくやしさをにじませながら辞任の弁を述べた。
9月9日に就任した際は、「私の任務は検察改革を成しとげることであり、これは時代が求める使命だ」と述べ、文在寅大統領の公約を忠実に実行する意欲を表明したが、わずか1カ月余での退陣となった。
法相の辞任を受けて文大統領は、「国民の間に多くの対立を引き起こし申し訳なく思う」と述べ反対を押し切って任命を強行したことを謝罪。検察改革については「重要な国政目標であり最後までまい進したい」と執念をのぞかせた。
文大統領によるチョ氏の法相任命、その家族、親戚らをめぐる疑惑、とくに妻の起訴など、辞任に至った経緯は、日本のメディアでも連日詳細に報じられてきたので、そちらに譲る。
今回の韓国の騒ぎと、日本の、しかも70年も前にあった法務vs検察の抗争を比較するのは、両者の構図がよく似ているからだ。
日本のケースは小説のような展開で興味深いので少し詳しく紹介する。
検事正が国会で法相の疑惑〝告発〟
時は昭和20年代半ば、主役の一方は法務府総裁(国務大臣、現在の法相)大橋武夫、対するは東京地検検事正、馬場義続だ。
大橋が、金解禁で有名な浜口雄幸元首相の女婿、旧高等文官試験トップで内務省に入省した元カミソリ官僚なら、馬場は、旧制高校時代から秀才をうたわれ、検事任官以来一度も地方勤務を経験せず東京地検検事正に就任したという超エリート。それぞれ役者として不足はない。
引き金は検察庁の人事だった。
昭和25年6月、第3次吉田内閣の法務総裁に就任した大橋は「検察の人事刷新」を公言、翌26年3月、最高検次長検事の木内曽益を格下の札幌高検検事長に異動させる人事を決めた。木内本人、検察側は検事の身分を保障した検察庁法25条を盾に激しく抵抗し、法務・検察に大混乱が生じたものの、大橋はこれを押し切った。強引な左遷人事の背景には、検察の内部対立があったが、それは後で触れるとして、木内本人は自らの抵抗による混乱を招いた責任を取って辞職に追い込まれる。
そこに、反大橋の勢力の代表格として登場したのが木内の懐刀、馬場だった。法務総裁の検察人事への介入に対する警戒感もあって、当時、国会で問題になっていた「 二重煙突事件」という詐欺事件に絡む疑惑捜査を名分に反撃に出た。
この事件は、会計検査院の報告を受けた国会が東京地検に捜査を依頼をしたことから波紋が広がっていた。
当時の特別調達庁が、進駐軍の施設に供する特殊構造の排気筒5万フィートを栃木県の足利工業に発注。同社は資材不足などで1万8000フィートしか生産できなかったにもかかわらず、間もなく全量納入できるように見せかけた書類を提出。4100万円の支払を受け、未納分の過払い2200万円をだまし取った。
大橋は一時期、同社の顧問についており、代金の早期支払いを調達庁に働きかけたことがあったため、詐欺に加担したのではないかという疑いがもたれた。顧問料月々3万円を約1年間受け取りながら所得として申告しなかったこと、初当選した24年1月の総選挙の際、同社専務から供与された陣中見舞いの申告を怠っていたことも、それぞれ所得税法違反、政治資金規正法違反が濃厚とみられた。
国会は現職閣僚の大橋を2度にわたって証人喚問。大橋は「調達庁に支払いを頼みに行ったことはあるが、製品が完納されていると思い、それを前提に話に行っただけ」(昭和25年12月6日、参院決算委員会議事録)、「地位を利用したり、不当な勢力を利用したこともない」(同)と、詐欺への関与を全面否定した。
顧問料は、「法律的にみると贈与という説明になると考えている」(昭和27年2月20日の参院決算委員会の議事録)苦しい答弁、陣中見舞いについては「選挙をやっているときに、地元島根の自宅で足利工業の専務個人から陣中見舞いとして20万円を受け取った。生活費の一部に宛てた」とあいまいな表現ながら授受を認めた。