検察、法相を取り調べ
検察は大橋に対して刑事訴訟法にもとづく質問書を送付。それを受けて馬場検事正自ら参考人として国会に出席し、被疑者の実名を挙げ、議事録1ページ半にのぼる詳細な捜査報告を行った。
馬場は、詐欺疑惑について、「大橋顧問が関与している部分もあるので、併せてこれらの事情について供述を聞いたうえで処分を決定する」(昭和26年10月30日、参院決算委員会議事録)と、本人の取り調べ、訴追の可能性に言及した。所得税法違反については「顧問料の性質がいかなるものであるかわからないと方針を決められない。質問書で事情を尋ねているので回答を待って決定したい」(同)と捜査を続ける方針を表明。政治資金規正法違反は「時効が成立しており捜査継続はいかがか」(同)と打ち切りを明らかにした。
馬場発言のクライマックスは「法務総裁への捜査に手心を加えているのではないか」という質問が出た時だ。馬場は「外郭的な捜査が終わった後にまとめて見解なり供述を聞くのが妥当と考えている。取り調べの矛先を鈍らせているわけではない。法務総裁であろうと当然調べることは可能なのだから、納得のいくまで取り調べる」と(同)言明、検察の強い決意を披歴した。
国会からの捜査依頼があったとはいえ、検事正が大橋を含む被疑者の氏名、被疑事実をいちいちあげつらって国権の最高機関に公表するというのだから、推定無罪への配慮、〝上司〟への惻隠の情などかけらも感じられない。「私どもも職責をもっているから」(同)と、職務を忠実に執行していることを印象づけようとしたが、こうなればもう、木内更迭への検察の報復といわれてもやむをえなかった。
ノンフィクション作家、本田靖春は後年、この事件に触れた著作、「不当逮捕」のなかで「検察官の指揮権をもつ法務総裁を、部下としてかばうどころか、引きはがしにかかったも同然だ」と述べてい。その通りだろう。
結局、東京地検は予告通り大橋の取り調べ(26年12月)を行った後、27年1月、足利工業の関係者を起訴、大橋について嫌疑不十分、時効などを理由に不起訴処分とした。大橋は訴追を免れたが、26年12月の内閣改造で法務総裁にとどまることができず、無任所相に横滑りした。