新型コロナウイルスの封じ込めにいったんは成功したと思われたイスラエルで、感染第2波がまん延し、ネタニヤフ首相は辞任要求の高まりで窮地に陥っている。首相は4月、1年間で3回の総選挙を実施した末、やっと最大野党との連立政権発足にこぎ着けたが、再び秋に選挙に踏み切り、自らの政治生命を救うため大きな賭けに出ようとしているようだ。
“復活”から“どん底”へ
イスラエルでは2月から4月末までの第1波で約1万6000人が感染した。この間、ネタニヤフ政権は外国人の入国禁止や罰則付きの外出禁止令などロックダウンを実行、情報機関モサドが世界各地から人工呼吸器やマスクを入手し、感染拡大を封じ込めた。世界の感染状況を監視している非営利団体は同国に「世界トップの安全性」というお墨付きを与えたほどだ。
3回の選挙でいずれも過半数を取れず、連立政権樹立にも失敗したネタニヤフ首相は自身が汚職容疑で起訴されたこともあり、ウイルスの感染が拡大する前までは、「首相の政治生命は絶たれた」との見方が強かった。しかし、感染拡大を「国家的危機」と呼んで、国民に強い指導力を訴え、支持が広がった。ウイルスの感染者は5月中旬、政府の対策が奏功し、1日10人を下回った。
首相はウイルスとの戦いに勝利宣言し「外に出てお茶やビールを楽しんでほしい」などと国民に呼び掛け、ロックダウンを解除した。首相の支持率は67%にまで達し、“完全復活”したかのように思われた。首相はウイルスとの戦いをしたたかに政治利用、最大野党「青と白」の代表、ガンツ元参謀総長に「国難」を盾に連立政権に賛同するよう説得した。
それまで「刑事被告人に協力はしない」として、連立を拒んできたガンツ氏も折れ、「非常事態内閣」の発足に同意した。両氏は1年半の輪番制で首相を務める連立政権を樹立し、ネタニヤフ氏が最初の1年半、来年の9月まで首相を先行して務めることになった。ガンツ氏は副首相兼国防相に就任した。
だが、首相の思惑通りに事態は進まなかった。国民の自粛解除に伴って5月後半から感染が再び拡大し、7月20日以降は感染者が1日2千人を超えるまでになった。首相は活動自粛で経済が大きな打撃を受け、失業率が20%を超える中、再びロックダウンに踏み切ることができず、対策も後手に回った。レストランの営業停止やビーチの閉鎖などでもちぐはぐな対応が目立ち、突然発表した17億ドル規模の国民給付金も政権内部の意見の食い違いが露呈され、いまだ給付されていない。
米紙によると、特に感染拡大の震源になったのは結婚式だった。同国では6月15日から20日間の間に約2100に上る結婚式が行われたが、式典では抱擁などの接触や歌、ダンスなどが伴い、出席者の間で感染が一気に拡大した。専門家は「結婚式がウイルスの培養器と化した」と指摘している。
感染拡大に「首相の拙速な経済再開が第2波を招いた」とする国民の不満と非難が爆発した。エルサレムや商都テルアビブなど全国各地で反政府デモが広がり、エルサレムの首相公邸には連日、首相の辞任を要求するデモが押し掛けている。地元のアナリストは「復活を遂げた首相がわずか2カ月で“どん底”に落ちた。初動の成功に酔って油断した結果だ」と手厳しい。首相の支持率は30%を切るまでに急落した。