2024年12月23日(月)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2020年9月7日

 8月18日、西アフリカのマリでは、反乱軍兵士が大統領や首相ら高官を拘束、翌日、ケイタ大統領は辞任を発表した。首都バマコを中心に大統領の辞任を求める反政府反デモが数カ月続き治安当局との衝突で死者も出ていたので、このクーデターは現地では歓迎されているようである。諸問題に効果的な対応ができないケイタ政権に対する不満は既に鬱積していたが、国民議会選挙の結果を覆す政権側に有利な最高裁判決が出たことで、国民の怒りは限界に達し、軍が蜂起したという構造である。

dikobraziy / iStock / Getty Images Plus

 他方、地域機関の西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、国連安保理、アフリカ連合等、国際社会は一致してこのクーデターを非難し、大統領の解放、復権を要求している。内政不干渉主義の中国でさえ非難声明を出した。仮に同様のクーデターがベネズエラで起こったとすれば、国際社会の反応は違っていたであろう。これはマリにおけるイスラム過激派に対する国際社会の懸念がいかに強く、状況がいかに深刻かを示している。

 もともとマリは多民族国家であり、特に北部に国境を越えて分布するトゥアレグ族は、90年代に独立闘争を活発化した。当時の政権が国民融和と民主化に取り組んだこともあり、独立運動は一旦は収まり一時はマリがアフリカにおける民主主義の模範のような時代もあった。しかし、根深い部族対立は完全には解消されず、その後トゥアレグ族の独立運動が再活性化し、2012年のクーデターに乗じて北部地帯を「イスラム国」系過激派武装組織等が実効支配したことで状況は劇的に変化した。

 翌年のフランス軍の介入により、都市部の拠点は回復したが、地方では「イスラム国」系過激派、伝統的なトゥアレグ族独立派、アルカイダ系武装組織などの武装組織が割拠する状態となった。2013年に民政移管への期待を担ってケイタが大統領に当選し、2015年には、アルジェリアの仲介により主要組織との間の和平協定が署名され、一時は事態が収束に向かうことも期待された。

 しかしながら、同協定が完全には履行されず、経済問題や部族対立を背景とする暴力行為の横行、政府部内の腐敗、更には同性婚の容認といった大統領の非イスラム政策に対する反発なども相まってこのような事態を招いた。

 今回のクーデターは成功したようであり、大統領の復帰は国民が受け入れないであろう。2012年との違いは、すでにフランス軍等が現地に駐留していることである。国際社会の共通の敵である「イスラム国」系武装組織の勢力拡大を抑えるためには、原状回復を求めてクーデター政権と対立するよりも、これを既成事実として受け止め早期の民政移管を求めることが現実的であろう。

 既にECOWASの代表団がマリを訪問しマリ軍幹部らと交渉を開始している。マリ軍側は、国家体制を見直す必要があり移行期間に3年を主張している由である。民衆の反政府運動の中心には厳格なイスラム教を信奉する宗教的組織が存在していることにも要注意であり、拙速な民政移管を行うことがかえって混乱を深める可能性もある。

 国家を破綻から救うためには、どのような政権であれ国民の不満に的確に対処し同時に治安を回復する実行力を持つことが必要である。軍事援助や経済支援を行う際には、国家社会の改革や民主化、国内融和を求める視点が重視されても良いであろうが、当事者はあくまでマリ人である。

  
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