新型コロナウイルスの感染拡大が猛威を振るい始め半年が過ぎたが、日本を含め世界各国では感染者と犠牲者が依然として増加している。そして、それも影響して米中対立がいっそう深まるだけでなく、香港国家安全維持法や南シナ海・東シナ海での海洋覇権、中印国境での軍事衝突など、中国と日本やオーストラリア、英国やインドなどとの間でも緊張が高まっている。
「自由で開かれたインド太平洋」構想には協力的な側面と競争的な側面があるが、今回の問題によってそれは競争的な側面が明らかに強くなっている。オーストラリアやインドは、これまで以上に中国への態度を硬化させている。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大は国家間対立を深めるだけでなく、テロ情勢の行方にどう影響を与えるかということにも懸念が拡がっている。
テロ対策専門家の間では、新型コロナウイルスの感染拡大による社会混乱に乗じて、テロ組織が治安当局や市民を狙ったテロ攻撃を活発化させる懸念の声が聞かれる。しかし、現在のところ、新型コロナウイルスの感染拡大によって各国でテロ事件が急激に増加しているわけではない。
例えば、イラクでは今年4月から5月にかけてテロ事件が増加したが、それ以降は減少し、今年1月から2月の水準に戻っている。アフリカでもブルキナファソを中心とするサハラ地域やモザンビークなどで、アルカイダやイスラム国を支持するイスラム過激派によるテロ事件が増加しているが、それはここ数年の傾向であり、新型コロナウイルスの感染拡大によってそれに拍車が掛かっているとは言えない。イスラム過激派が活動する他の国々でも同様の傾向で、新型コロナウイルスがイスラム過激派の活動にエンジンを掛けているわけではない。
また、イスラム国やアルカイダ、それらの支持組織や信奉者たちは、「新型コロナウイルスが欧米を襲ったのは神からの罰だ」、「欧米諸国にいる支持者たちは攻撃を試みろ」などの声明を発信しているが、イスラム国やアルカイダの発信する動画やメッセージの頻度や鮮度の低下も影響してか、それらに触発された者によるローンウルフ的なテロも報告されていない。
当然ではあるが、新型コロナウイルスがテロ組織のメンバーを中心に感染する可能性は十分にあり、そうなれば組織として大きなダメージを受けることになる。よって、テロ組織も一般市民と同じように感染予防を徹底し、必要以上の活動は控えることになる。テロ組織とは超過激で常識が通用しないように思われるが、その政治的主義・主張は到底理解できないものだとしても、自らの目標達成と組織存続のためには合理的な選択肢を選ぶ。
このような事情に照らせば、新型コロナウイルスの感染拡大はテロの増加に繋がらないと思われるかも知れない。だが、事はそう単純ではない。新型コロナウイルスとテロとの関係は短期的ではなく、中長期的に考える必要がある。
それには2つの理由がある。まず、新型コロナウイルスの感染が拡大して以降、イスラム過激派が活動するアジアやアフリカの国々では、本来テロ対策に従事する警察や軍がロックダウンによる対応に時間を割かれ、パトロールや警戒監視などのテロ対策が疎かになり、イスラム過激派がそういった隙を突いて活動範囲を拡げることが懸念されている。
しかも、新型コロナウイルスによる社会混乱が続けば続くほど、イスラム過激派が自由に行動できる余地が生まれ、いわゆる聖域(safe heaven)が拡がる恐れもある。そして、もともと政府の統治能力が脆弱な国々では、新型コロナウイルスによる社会混乱によって軍や警察の指揮命令系統にヒビが入るだけでなく、圧迫される財政事情によって兵士や警察官への給与供給に遅延や停止が生じ、最前線でテロ対策に従事する人々の士気が低下する可能性もある。
また、新型コロナウイルスによる社会混乱によって、失業や経済格差がいっそう深刻化し、一部の若者が抗議デモや暴力に走るだけでなく、テロ組織にリクルートされ、テロの世界に入ってしまうことが懸念される。現在、イスラム過激派が活動する国々の多くは感染の真っただ中にあり、経済的被害の規模が明らかになっていないが、今後失業率やGDPの値が発表され、大きな社会問題へと発展する可能性がある。
これまでのテロ組織加入の事例を調査してくると、テロの世界に入ってしまう若者たちの過程はさまざまだが、「お金を稼げる仕事が全く見つからず、安定的な給与をくれるテロ組織に加入した」、「仕事がなく友人や家族からの誘いでテロ組織に入った」など、金銭的問題は主要な背景だ。テロ組織とは、財政的に余裕がある時は大規模で綿密に計画したテロを試みるが、財政的に苦しい時は身代金目的の誘拐や略奪、海賊行為などを繰り返す。要は、お金はテロ組織にとって生命線であり、魅力的なお金で若者のリクルート活動を行う。経済が長期に渡って停滞すると、それだけ若者たちの反政府感情が高まり、テロ組織に利する環境が生じる恐れがある。