Wedge REPORT

2021年3月22日

»著者プロフィール
閉じる

樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

ぼろアパートが終の棲家

 もうひとり筆者が触れたいのは、浜口同様、暗殺という非業の死を遂げた元日本社会党(現社民党)委員長の浅沼稲次郎だ。

 年配の読者は覚えているだろう。1960(昭和35)年、革命前夜を思わせた日米安保条約改定反対の闘争を指導、その年の10月、日比谷公会堂で演説中に右翼少年の凶刀に倒れた。

 魁偉な容貌でエネルギッシュ、それでいて気さくに国民に語りかける活動ぶりから、親しみを込めて〝人間機関車〟〝演説百姓〟などというニックネームで呼ばれた。 

 死後出版された追悼集『邁進 人間機関車ヌマさんの記録』の中で、生前ゆかりの人たちが大衆政治家・浅沼をいきいきと描いている。

 驚くのは、死去するまで住んでいた東京の下町、深川のアパートだ。

 戦前の建設当初はモダンさを誇ったようだが、浅沼の晩年は、壁や窓は荒れ放題。洗濯物があちこちに干され、質素という表現すら誉め言葉に聞こえるほどのぼろアパート。いわれなければ、社会党現職委員長が住んでいるとは到底想像できなかったろう。

 浴衣姿の浅沼が当時の子供たちの娯楽、紙芝居をベランダからニコニコしながら、のぞき込んでいる写真が残っている。どうみても下町の好々爺だ。

楽しみは〝馬肉パーティー〟

 食べ物にしても贅沢なものは好まず、好物はさくら肉、つまり馬肉だ。党本部の職員を慰労するときなど、かならず登場する。もちろん、自分も大いに食べる。

 浅沼の前任委員長の河上丈太郎は何度か〝馬肉パーティー〟によばれたことがある。多くの人に囲まれてうまそうに頬張る浅沼は楽しそうだったと回想している。

 夜討ちに訪れる新聞記者にふるまわれるのはカクテル「深川割り」。何のことはない国産3級ウィスキーを番茶で割っただけの代物。味などはおかまいなし。

 子宝に恵まれず、かわいがっていた秋田犬が唯一の自慢の種という嘘のような話もある。

 昨今のコロナ対策のために、自衛隊の看護師らが迷彩服姿で他の病院に応援に出動している中、最高指揮官の総理大臣が高級レストランで夜の会食を楽しんだり、総務省の役人が業者の接待で7万円ものステーキに舌鼓を打つなどとは、時代も違うが、まるで別世界の出来事のようだ。

 浅沼が亡くなった時、当時の首相、池田勇人が衆議院本会議で追悼演説をした。さわりを引用する。

 「君は、日ごろ清貧に甘んじ、30年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます」――。

 浅沼について、すべて言いつくされているだろう。 

 池田の秘書官だった伊藤昌哉の筆になるこの演説は国民の間に感動を呼んだ。池田は後に「5億円か10億円の価値があった」と、好敵手の死を悲しみながらも満足気げだった(伊藤昌哉『池田勇人 その生と死』)。

関連記事

新着記事

»もっと見る